鎧が淵(日立市東河内町)


中里小学校(日立市東河内町)の下から里川に沿って玉廉寺の方へ里の道をおよそ200メートルほど行くと崖下を曲がりくねって川が流れています。

P5280188.JPG

P5280189.JPG
 
このあたりは昔から「鎧が淵」(日立市東河内町)といわれて、その伝説が語りつがれているといいます。
 
昔、東河内の里川あたりで落武者が逃げるのに邪魔になった刀の鞘を捨てたところといわれております。
 
その落武者は藤原広嗣であったという。それから幾年もたって釣りにきた地元の者が川底に古い鎧が何着か沈んでいるのを見つけ、村の者達が鎧を引き上げたということです。
 
それ以後、この淵を誰言うとなく「鎧が淵」とよんだと伝えられています。
 
藤原広嗣といえば遺唐副使として中国へ渡り、学問を修め、政治に参与しましたが、吉備真備や僧玄妨と対立して左遷され、それを不服として大宰府に挙兵したが敗れてしまいます。
 
藤原広嗣は安房、上総、下総の国司となった藤原宇合の長子で、常陸国風土記を編纂した人ともいわれています。
 
宇合は蝦夷討ちなどもおこなっていたため、藤原広嗣が敗走して鎧を捨てたという鎧が淵の伝説も父の宇合が蝦夷
 
討ちをしたのと一緒になって伝説が生まれたのかもしれません。
 
藤原広嗣が常陸国に落ちのびて里川に鎧を脱ぎ捨てたかは定かではありませんが、里川の青い流れの川底にはなにか怨念のようなものを見るような不思議な気分になりました。

☆ヒサコの一句☆
 
鎧が淵 落武者の陰 里の冬



阿弥陀堂(日立市神田町)


吉田神社の近くに、こんもりとした樹木があり、その中にひっそりと古びた阿弥陀堂(日立市神田町)がありました。
 
神田町は、かって「釈迦堂村」とよばれていたそうです。

昔の釈迦堂村、現在は下神田の墓所わきにある阿弥陀堂は何度か修築され、現在はかなりいたんでおりました。
 
小さな堂の中には50センチほどのくすんだ阿弥陀如来が祀られているといわれます。
 
立像は来迎の姿で右手は施無畏印、左手は施願印にしており、この阿弥陀仏の左右に脇待している30センチほどの二尊は観音と勢至菩薩といわれます。
 
鐘(公民館に保管されている)も残され、鐘は直径20センチほどで「文政十一年(1828)子七月ニ十一日釈迦堂村下組」と刻まれているといいます。
 
阿弥陀堂がいつ頃、建立されたか定かではありませんが、江戸時代に廃寺となった勝蔵院ではないかといわれております。
 
勝蔵院は石神外宿にあった真言宗、泉福寺の門徒寺で、徳川光圀の社寺改革にあい取り潰されましたが、九代藩主水戸斉昭の天保改革「念仏庵、薬師堂は撤去すること、但し墓にある庵室に墓守を置くことは認める」とあり廃寺勝蔵院に阿弥陀如来が祀られていたこと、墓地に残された墓守のことから考えると阿弥陀堂と勝蔵院は関係があるのではないかといわれています。
(日立みなみ風土記著)
 
阿弥陀堂は忘れられたようにひっそりとありました。

P6130305.JPG
 
遠い昔は寺であったというこの阿弥陀堂が徳川幕府の政策によって取り潰された無念さを感じさせられました。

P6130303.JPG
 
そばに石仏が草むらに埋没するようあって、古い阿弥陀堂を見守っているようにも見えました。

☆ヒサコの一句☆
 
釈迦堂の 隠れ祠や 阿弥陀堂 
タグ:阿弥陀堂

吉田神社(日立市下土木内町)


日立南大田lCから6号国道に入るとすぐに下土木内(しもどぎうち)町があります。

P6130298_01.JPG

P6130302.JPG

P6130301.JPG
 
あたりには水田が広がり、用水路を流れる水の音が聞こえるところでした。
 
水田の中ほどに孤立したような森の中に吉田神社(日立市下土木内町)があります。
 
細いあぜ道をいくと神社の鳥居があり、古びた本殿の屋根には枯れ葉が積もっていました。
 
吉田神社は日立武尊(やまとたけるのみこと)が祭神といわれます。もとは八幡社であったといわれ、司祭していたのは真言宗であったのですが、元禄9年(1696)8月、吉田明神と改称され、司祭者も神官に改められました。
 
これは水戸光圀の社寺改革によるもので、八幡社の信仰が神仏習合の根拠によって厳しい処分が下されたものです。
 
また八幡社が佐竹氏の守護神であったため、領民から佐竹氏の影響を弱めることが狙いであったともいわれています。

近くには日南舎会沢資料館があります。

茅葺の居間と倉庫があり農具や民具が展示されているということです。
 
畦道を歩いていると一羽の白い鷺が上空を舞う姿に見とれてしまいました。

☆ヒサコの一句☆

白鷺は 森の鎮守で 羽やすめ
タグ:吉田神社

鍛冶屋敷とカナイ神(日立市茂宮町)


熊野神社から南100メートルほどの歩道の畑の中に、通称「鍛冶屋敷」「カナイ神」と呼ばれる一区画があります。(日立市茂宮町)

PA090457.JPG 
 
鍛冶屋とは鎌、鍬、包丁、鋸などの鉄製道具を手作業によって作っていたといいます。
 
この鍛冶屋さんが祀る神を金屋子神(かなやごかみ)といったといいます。
 
カナイ神とは金屋子神がなまって「カナイ神」と呼ばれたともいわれています。

昭和27年の区画整理時、カナイ神の
 
境界部に水路を掘ったところ、たくさんの屑鉄が発掘されたといいます。
 
現在、この地は昭和27〜28年に茂宮全域の区画整理したとき、村内各所に点在していた観音様、馬力神、石佛、石塔などカナイ地区に一括合祀したということです。

PA090452.JPG
 
また熊野神社より40メートルの距離に建っている二つの碑がありました。
 
供養塔と参宮記念碑が並列して建っています。

PA090451.JPG
 
もとは茂宮町小字石道林の茂宮公民館のある地に建っていました。
 
昭和27年〜28年に茂宮地区の野佛、馬力神、仏像をカナイ神地に集めて祀ったが、「供養塔」「参宮記念碑」は記念碑として扱ったためカナイ神に入れず現在地に移転したといいます。
 
野佛や馬力神、仏像などが、ムシムシした初夏の頃は草深く、埋もれるようにありましたが、晩秋の今はすっかり
 
草が刈り取られきれいになっていました。
 
大きな椿の木の下に並んでいるすがたはすっかり黄色にそまった秋の田園風景にとけこんでいました。

☆ヒサコの一句☆
 
石仏や 椿のもとで 冬を待つ

熊野神社


熊野神社(日立市茂宮町)は茂宮町字十二所の杉林の中ほどに鎮座しています。

PA090446.JPG

PA090449.JPG

PA090450.JPG
 
熊野の鎮守として延宝3年(1676)紀伊国熊野有馬村から遷宮され「十二所明神様」と称され、この地に住む高根家が佐竹氏に仕えた代々の武門で、佐竹氏が秋田村移封の際、高根一族は秋田へ移住しましたが、茂宮村に土着した高根一族がはじめて勧請したものといわれています。
 
また熊野三山、熊野権現ともいわれるのは、和歌山県熊野坐神社、熊野速玉神社、熊野那智神社の三社の総称です。
 
平安時代から朝廷、武家、庶民の間に熊野詣がさかんになりました。
 
中世以後は信仰の厚い各地から勧請されて、熊野明神、熊野神社、熊野権現などとよばれる神社が多くなりました。
 
茂宮神社は、初め高根家が勧請して熊野神社と称され、茂宮の鎮守として氏子より崇められたといわれます。
 
このあたりの旧家は佐竹氏ゆかりの深い家が多いといわれます。
 
鳥居のそばには純白や紅色の山茶花が花を散らし、珍しく冬桜の淡い花びらが枝にはりつくように咲いていました。

☆ヒサコの一句☆
 
山茶花や 白の花散る 鳥居前
タグ:熊野神社

西行法師の歌碑(日立市石名坂)


6号国道にある石名坂橋の下の道を通り、坂本中学方面に坂道を上ると、県道亀作線入口に西行法師の歌碑(日立市石名坂)が建っていました。

PA070445.JPG

PA070441.JPG
 
歌碑は民家のすぐそばにあり、大きさは碑高206センチ、幅約90センチ、厚さ約10センチの石碑です。
 
この重要な文化財は土手の上にあって、彫られた字が見えにくいのが残念でした。
 
建立当時の記述によれば「西ノ妻南側の急坂が石名坂の地名を生んだ坂で。古代の名坂浦あり。
 
西行法師のこの歌の口碑として残っている。この歌碑を後世に伝うべく。
 
昭和15年五月、皇紀2600年にあわせて有志の方々が協力して、現在地、坂の上に建立したものである」とのことです
 
碑文
 
世の人のめざめせよとて 千鳥鳴く
 
名坂の里の 近き浜辺に
 
従二位勲三等子爵令泉為義書
    
            
「早朝に、人々に目を覚ましなさいと言うように、石坂の近くの浜辺で千鳥が鳴いている」
 
大昔には、この石名坂の近くまで海水が湾入していて千鳥が住みつき、鳴いていた為に、この情景を歌に詠んだものとおもわれます。
 
西行法師(1118〜1190)は平安末期から鎌倉初期の僧で、俗名は 佐藤義清、 法号は 円位 大宝房と呼ばれていました。

もとは武士でしたが22歳で出家、陸奥、四国、九州まで諸国を旅しました。
 
また西行法師の歌碑は、日立地方には他にもあります。
 
☆ 所在地   日立市多賀町、 建立年月は不祥
 
碑文
 
おふ国分の田おもの蛙名のみして
 
ね覚めせよとて鳴く声ぞうき
 
大きさは碑高172センチ、幅約75センチ、厚さ約14センチ。 緑泥岩 台石あり。
 
 
☆ 所在地   日立市滑川町  建立年月日は昭和46年4月
 
碑文
 
大田尻衣はなきかはたかしま沖ふくかぜにみにはしまぬか
 
秀峰書 
 
大きさは碑高140センチ、幅約103センチ 厚さ約15センチ。 

黒花崗岩


1170年の頃常陸国を通って奥州をめざし、行脚の折に歌を残していかれたのでしょう。
 
およそ千年近くの時をへても色あせない情感のこもった歌に感動してしまいます。

☆ヒサコの一句☆
 
枯れススキ いにしへ人の 歌をよみ
 

田中内大日如来堂(日立市大和田町)


羽黒神社の近く、国道293号の道路沿いに田中内大日如来堂(日立市大和田町)があります。

P9200420.JPG

P9200421.JPG
 
大日如来の石像を田中内村穴田に安置しています。
 
その由来は「後花園帝の朝、永享2年(1430)僧崇純大和尚が当村に来たとき、あたかも大日堂および尊像のできあがりたる際を以って開眼法事を託す。

大和尚快諾の上、尊像の前に進み喝(げ)を唱え筆を取りて開眼(かげん)奉れり。
 
時にその開眼筆に綱をつけ皆開眼の縁を結びたり」という。
 
平成10年に安置する御堂が老朽化となり町民より寄付を募り、同11年2月に落慶式を行い、立派な完成を見るにいたりました。
 
これも創始者に対する町民の心が長い時を越えて受け継がれていったのでしょう。
 
縁日は8月8日で前日、7日の夜は宵祭りが行われるそうです。
 
大日如来とは密教的宇宙における最高の理念であるといわれます。
 
お堂の前は車が行き交う道路、裏側は田畑が広がり大きな樹木のわきにひっそりとあって見落としてしまいそうなこじんまりとしたお堂です。

少し先には高速道路の巨大な陸橋が目につきました。

☆ヒサコの一句☆
 
如来堂 お墓参りの 道すがら

羽黒神社(日立市大和田町)


大和田町田中内には創建時期の古さに定評のある鎮守羽黒神社(日立市大和田町)が国道6号と293号の交差点の近くの奥まったところにありました。

P9200423.JPG

P9200428.JPG

P9200427.JPG

祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と石長姫命(いわながひめのみこと)の二神とし御神体を鏡としました。
 
羽黒神社は延暦16年(797)坂上田村麻呂は征夷大将軍に任じられ同20年(801)蝦夷征伐に向かい、この地を過ぎるとき、里の多くの女性がお産に苦しむのを聞き、藤原某に図り、小社を創設し、石長姫命、木花咲那姫のニ柱を祭神として奉紀させたといいます。
 
それ以来お産に苦しむものがなくなり里人はその徳を尊敬したといいます。
 
元慶2年(818年)になって焼失したが天慶2年(939)朱雀天皇のとき、藤原仲平により再建されたという。
 
元禄年中(1688〜1703)徳川光圀は二柱を分け、石長姫命は元の社に祀り木花咲耶姫は新たに社殿を立てて遷座し、羽黒大明神として田中中村の守護としました。
 
明治維新後、羽黒神社と改修しました。
 
また木花咲那姫命は山火鎮護、五穀豊穣、養蚕の守護、縁結び、子授け、安産など女性の幸せ守護神とされています。
 
神社はまわりが民家のなかにあって大きな鳥居にはいると静かで落ち着いた境内には厳かな雰囲気が漂い

大きなカリンの実やすっかり枯れドライフラワー状になった紫陽花が季節の移ろいを感じさせてくれます。

☆ヒサコの一句☆
 
秋色の 古き社に 枯れおばな
タグ:羽黒神社

北野神社(日立市石名坂町)


6号国道に車が行きかうなだらかな石名坂に沿って天神山が見えます。
 
天神山に北野神社(日立市石名坂町)があり、神社の入り口には馬頭観音、庚申供養塔、佛像(石像)ありました。

P6020209.JPG

P6020212.JPG

P6020216.JPG

P6020211.JPG
 
北野神社参道の右側には地蔵院の跡地があります。鬱蒼とした草むらや廃木がそのままにされたその中に「融通大念仏塔」や「勧化念佛塔」が建てられています。
 
「有通大念仏塔」とは正徳3年(1713)に建てられ、一人の念佛と多数人の念佛と融通することを説く宗派であるといわれています。
 
「勧化念佛塔」は享保7年(1722)、勧化とは寺院の建立や修理にあたり、信者に金品を集めることであるという。 

これらの念佛塔が草むらにまみれて埋没するようにあるといわれています。
 
このあたりは枯葉がつもり、生い茂る雑草があたりを薄暗くして、どこかひんやりとしています。
 
本殿だけが明るくぼっとかすんでみえました。
 
この北野神社の祭神は菅原道真公です。
 
北野神社の創始年月は詳らかでないが石名坂地蔵院の資料が発見されたことにより明治6年村社に列格されました。
 
北野神社は古社が天正4年に勧請、今社に元禄11年勧請されたといわれています。
 
北野神社の例祭は新暦4月25日、秋は旧暦9月25日、戦前までは例祭には各戸で赤飯を炊いて賑わったといいます。
 
戦後は地域の人々が自由に参拝しているといわれます。
 
例祭日のほか新年祭、御田植祭、新嘗祭などの祭事が行われています。

☆ヒサコの一句☆
 
天神の 隠れ石仏 古社

日立での永代供養なら
 
タグ:北野神社

天道塚(日立市南高野町)


鹿島神社境内の南側の天道塚(日立市南高野町)に移設された地蔵尊堂内に石仏の地蔵菩薩があります。

P6110283.JPG
 
石仏の地蔵菩薩には嘉永2年(1849)酉の銘があり、如意輪観音は享保2年(1717)、文化2年(1805)弘化3年(1846)があります。
 
また石仏は馬頭観音、馬櫪神、馬力神があり馬霊の冥福を祈って立てられものですが多いといわれ、中には道標を兼ねるものもあります。
 
天道塚とは太陽を崇め感謝する表れから天祭りと称し民間に広まった信仰(天道祀り)が行われた斎場の跡地です。
 
天念仏、天道念仏とは太陽の恩恵をうけ、五穀豊穣を願う農民の素朴な太陽信仰と念仏が合わさったものといわれます。
 
南高野の天道塚は鹿島神社の南側に位置し道路で二分されましたが、その一部が現存しています。
 
以前は信仰的な講の供養塔や石仏、地蔵仏などは小屋(村の衆が集まって念仏を供養した)の庭先にあり、馬力神、道標は自然の中にとけこんだ村落などにありましたが、昭和31年に地域公民館を建てたときや道路拡張工事のため天道塚に移設されたといいます。
 
庶民の信仰の対象であった石仏や野仏など、どのような人々が手を合わせたのでしょうか。古びた石仏にも人々の願いがこめられているようです。

☆ヒサコの一句☆

日が暮れて 石仏悲し 秋の虫
 
タグ:天道塚

村社鹿島神社(日立市南高野町)


南高野の村社鹿島神社(日立市南高野町)は日立市南部支所の近くにありました。

P6110288.JPG

P6110292.JPG
 
南高野の鬱蒼とした森の中に武甕槌命を祭神とする、常陸国一ノ宮鹿島神社を勧請しました。
 
茂宮川下流の後瀬鹿島に大同2年(807)に創立されました。
 
寛永6年(1629)一村一社の鎮守として鹿島明神となり、元禄8年(1695)徳川光圀の命により一時、大甕倭文神社の末社となりました。
 
明治12年4月に至って現在地に鎮座されました。
 
鹿島神社大助祭り旧7月10日、新嘗祭12月2日が行われ、村内安泰と家内安全、五穀豊穣を氏神様である鹿島神社に祈願する御祭りです。

地域公民館の文化祭には藤田東湖揮だいの祭り用大のぼり(現在は郷土博物館に保管)を立てています。

P6110287.JPG
 
鹿島神社の広い境内には樹齢百年余の桜、椎の常緑広葉樹林で繁茂しており、昭和53年12月に日立市緑地保存の指定を受けています。
 
境内には八坂神社と稲荷神社が合祀されています。
 
鹿島神社は鳥居の前には世にいう八幡神社の八幡太郎手割の石がありました。

P6110286.JPG

P6110296.JPG

当時、道の真ん中にあって義家がとおる時、道をふさいで邪魔であったところから太刀を持って二つに割ったとされる石があります。
 
神社は住宅街の中ほどにあって大樹にまもられ、あたりを歩いていると金木犀の甘い香りに酔いそうです。

☆ヒサコの一句☆

音もなく 境内の秋 落葉ふむ

薬師堂(日立市久慈町)


なだらかな坂道を上がっていくと高台の久慈小学校の近くに薬師堂(日立市久慈町)がありました。

P6200325.JPG

P6200326.JPG

P6200330.JPG
 
薬師堂に安置されている薬師如来像は重要文化財に指定されています。
 
薬師如来像は江戸時代まで大森村丹奈の里(現在の常陸大田市)にありました。
 
文禄6年(1693)6月、徳川光圀の命により丹奈の里から久慈村梵天山観照院宝隠寺境内に移祀されました。
 
宝隠寺は久慈小学校付近にありましたが廃寺となり、その場所に薬師堂がありました。
 
文久3年(1863)の久慈の大火の際、薬師如来像は人々に背負われて運び出され、難を逃れてこの地に祀られました。
 
現在の薬師堂は明治42年(1909)7月、地元によって建立されました。
 
内部には本尊薬師如来および両脇侍日光・月光菩薩と薬師如来の眷属十二神将が安置されております。
 
薬師如来像は、カヤ材寄木造り、像高71センチ、平安時代の作といわれております。
 
薬師如来は薬師瑠璃光如来の略で東方瑠璃光世界の教主であるところから大医王仏ともいわれています。
 
この仏が修業中に除病安楽、息災難苦、荘具豊満の大願をされたので、薬師如来を信仰することによって病苦を救い厄難消除し、現世来世の福徳を授けられるとされております。
 
両脇侍の日光・月光菩薩立像は像高78センチ、ヒノキ材の一本造り、江戸時代の作と推定されております。
 
薬師如来坐像は彫刻としても価値の高い仏像ともいわれています。
 
薬師堂の隣には天台宗千福寺があり、高台から久慈港や民家がが一望できます。
 
薬師道の帰り道、下り坂を歩いていると元気な小学生の列が、口々に挨拶してくれて私も気持ちよく「こんにちわ」といいながら石段をおりました。

☆ヒサコの一句☆

彼岸花 港見渡す 薬師堂
タグ:薬師堂

千両(センリョウ)の実


足早にやってきた冬、すっかり庭の草花の枯れてしまったものや枯木を整理して少し寂しくなりました。
 
家の片隅で寒さにめげず、ひっそりと赤い小さな実のセンリョウ(千両)が顔の見せる季節になりました。

☆ヒサコの一句☆

冬日きて 庭の千両 清新なり

PB210438.JPG
 
センリョウは暖地に野生していますが観賞用として重宝されています。
 
縁起の良い木として庭に植えられ、果実は正月の生け花として飾られます。
 
センリョウはセンリョウ科の常緑小低木、関東以西、本州、四国、九州などのほか東南アジア各地に広く分布しております。
 
茎は高さ50センチぐらい、葉は鋸歯でつやがあり、夏のころ頂部の総状に黄緑色の花を開きます。
 
冬には直径5,6ミリぐらいの果実が真っ赤に熟して大変美しいです。
 
また、赤い実だけではなく黄実色のセンリョウもあって、冬到来の庭らしくなりました。

PB210437.JPG
 
時雨雲もやってきて侘びしい景色がみえます。

ワスレナグサ(勿忘草)


ワスレナグサ(勿忘草)が冬にしては温かな日差しのなか、畑いっぱいに咲き乱れていました。

PB270472.JPG

☆ヒサコの一句☆

勿忘草 忘れたき歳 早師走

細長い葉をつけた茎の根元から枝分かれして、茎の先端に先が渦巻きのようにクルクルと巻いた総状花序をつけ、瑠璃色の小さな花をたくさん咲かせます。
 
ヨーロッパではこの花を「私を忘れないで」直訳して「フォーゲット・ミー・ナット」というそうです。
 
花色は澄み切った瑠璃色、ほかに白やピンクなどあり、原産地はヨーロッパやアジア、ムラサキ科の多年草です。
 
しかし、園芸ものでは一年草として扱われ、日本では、おもに花壇や鉢植えとして栽培されていますが、野生のものもあります。
 
草丈10センチぐらいの矮性種のものから30センチ以上のものまであります。
 
ワスレナグサは寒さに強く越冬しますが、霜などには弱いの注意が必要です。日光を十分あびてロマンチックな花は冬にもやさしい姿をみせています。
 

イソギク(磯菊)


珍しく温かな小春日よりに恵まれるとすごく得したような気分になります。
 
野良猫が路上でのんびり大あくびしている、そんなのどかな師走になりました。
 
あたりには色鮮やかなイソギク(磯菊)が 黄金色を見せ、草花が少なくなった今の時期、一層目立ちます。

PB230465.JPG

☆ヒサコの一句☆

磯菊や 蟲遊びたり 夕餉まで
 
イソギクの花は花弁がないのに黄色にみえるのは管条花が集まって咲くためです。それが集合すれば、一面、まっ黄色に彩られるわけです。
 
葉は密に互生し、葉の表面は緑色で質厚、裏は銀白色の短毛が密生し、縁は銀色で縁とられ美しく見えます。

イソギクは浜辺に多く、海岸に咲く野生菊の一種で、海岸の崖地を好んで生えるキク科の多年草です。
 
今では家の庭にも見られ、山盛りの黄色をみれば、近くの海岸にも冷たい潮風や白砂、鉛色の海が目前に広がる季節がやってきます。

コウテイダリア(皇帝ダリア)


賑やかだった庭は初冬の風が吹く頃、残菊のやせた花が最期の炎を燃やすように咲いています。
 
そんな秋の終わりに似つかない賑やかなダリアの花をみました。

PB230461.JPG

☆ヒサコの一句☆

冬ダリア 師走の庭師 見上げたり
 
高さ3メートル以上もあるでしょうか。

花色は鮮やかなピンク、大輪のダリアはとても目立ちます。
 
あまりの高さのため、風に揺られると花の動きが大きく、傷つかないか心配になります。
 
コウテイダリア(皇帝ダリア)は晩秋の冷たい風にもめげず、直径10センチぐらいの大輪の花を見事に開いています。
 
あたりはもうめっきり花も少なくなりましたのにコウテイダリアの華やかさには驚かされました。
 
コウテイダリアはメキシコ原産、キク科の多年草、花色はピンクや白、など数種あるそうです。
 
高さ3〜5メートルにもなる巨大輪のダリアです。
 
ダリアは豪華で華麗さでは他には見当たらないほどの花です。

そして、長年のあいだ品種改良されてミニから巨大種まで栽培されるようになったんですね。

白いサザンカ(山茶花)の花


サザンカ(山茶花)の花は今が見ごろです。
 
特に純白の八重咲きは日本画から抜け出た美人画を見るような美しさに満ちていました。

PB210458.JPG

PB210459.JPG

☆ヒサコの一句☆

山茶花は 庭の隅ずみ 散り別れ
 
秋から初冬にかけて家々の垣根や庭などになにげなく咲き乱れるサザンカの花は日本独特の風情のある風景を見せていいですね。
 
花や葉がツバキとよく似ているので間違いやすいです。
 
花や葉はツバキより小形で、花びらはバラバラに散り、子房に細毛があることから一見して区別されます。
 
野生種は白色や淡紅色で一重咲きの細弁ですが、ここから多くの花色や花形が作られ、いまでは園芸種として一重咲き、二重咲き、八重咲き、花色は紅、桃、白、絞り、ぼかしなど変化に富んでいます。
 
晩秋の寒さにじっと耐え、はりつくように咲くサザンカ、いつの間にかハラハラと散りいそぎ、次々と蕾が開いて、木々を賑わしています。

風に散った花びらをひとひら拾い上げると、また目の前に散る花びら、ああ、、もう秋は駆け足で過ぎ去っていくのでしょうか。

ニオイムラサキ


イチョウの黄落葉が一面に散りはじめています。
 
晩秋の山々は今、サクラ、カエデ、ウルシ、ドウダンツツジが燃えはじめ、あたりはまさに黄金色や赤褐色の色に包まれています。

今年の黄葉色は特に美しく見ごたえがありますね。
 
ヘリオトロープの濃紫色の花が大きめの鉢の中で、かすかに香りのある五弁花を枝先に密集して咲かせています。
 
別名 ニオイムラサキとも呼ばれ、ハーブとしても有名です。

PB150431.JPG

☆ヒサコの一句☆

覗き見の ニオイムラサキ 冬気配
 
ヘリオトロープは南米ペルー原産のムラサキ科の多年草です。
 
春まきで夏から秋にかけて咲き、冬の寒さが厳しいと枯れてしまいますが室内や温室などで5〜6度に保つことが
 
できれば越冬し、春にはまた花が咲きはじめる丈夫な花です。
 
気温が15度以下になれば香りがでてくるため、晩秋の頃、花壇に一株でもあれば、あたりに香りが漂いはじめます。
 
濃紫色の花色が情熱的な印象のヘリオトロープです。

アゲラタム


青紫色の爽やかな花色のアゲラタムは晩秋になって少し疲れ気味の様子です。
 
初秋の頃は葉を覆い隠すほど花をいっぱい咲かせ、涼やかな雰囲気のある花でした。

PA010247.JPG

☆ヒサコの一句☆

アゲラタム 薄三ヶ月が 遠ざかり
 
アゲラタムの花は花びらがないのに美しく見えるのがとても不思議ですが、アザミに似た青紫の花はたくさんの雌しべが集まって見えるのです。
 
アゲラタムは原産地がメキシコ、熱帯アメリカ、キク科の多年草です。別名 カッコウアザミとも呼ばれています。
 
花色は青紫、ピンク、白色があり、小さな花がこんもりと密集し、秋の終わりまで次々と咲き続ける矮性種でコンパクトタイプが多く出回っています。
タグ:アゲラタム

ネリネの花


庭の隅ずみにまで白や赤、黄色の小菊が、また路傍の片隅には、野菊の花が咲き乱れ、秋は静かにすぎていきます。
 
菊が花盛りの中、ネリネの花があの彼岸花と見まごうばかりの華やかさでで咲いていました。

PB140422.JPG

☆ヒサコの一句☆

ネリネ花 日の温もりの 届く窓
 
太い花茎がつんと伸び、その先に濃ピンク色の光沢のある花を咲かせていました。2、3日の雨風にも負けず直立したまま、ネリネの花は元気に咲いています。
 
ネリネは南アフリカ原産のヒガンバナ科、花色は白や赤があります。
 
成程、秋のお彼岸にたくさん見られるヒガンバナによく似ているはずです。
 
別名 ダイヤモンドリリーといい、きらきらとした美しい花です。
タグ:ネリネの花
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。