名なしの木(日立市久慈町)


南高野史跡公園の入り口の道をはさんだところに金井戸団地入口のバス停があります。

その道路ぎわに「名なしの木」(日立市久慈町)と呼ばれる大木があります。

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昔の古老の言い伝えによると、昔、南高野字宿坪に長者屋敷といわれる一角があり、旧暦11月15日の夜、盗賊が大挙して襲ってきたといいます。
 
屋敷の住人は赤津雅楽之助と称し、村人からは長者様と呼ばれていたといいます。

長者は槍の名人だったので盗賊13人を突き伏せると驚いた賊は姿を消し、長者は敵影なしとみて水を飲みに外に出たとたん待ちぶせした賊に長者は首を打たれて死んしまい毎年旧暦の11月15日の縁日には屋敷跡の片隅に立ち「名なしの木」の根元に13本の白幣を立てて神職が祭事を行うという。
 
赤津家の伝えるところによると長者は佐竹氏の繁栄した天正18年(1590)頃の家老であったが佐竹氏が秋田へ移封されるとき、老齢のためこの地にとどまり百姓となって知行300貫を与えられたという。
 
後年、長者が京都に行った際に一本の苗木を持ち帰り敷地内に植えたのが「名なしの木」といわれています。
 
この「名なしの木」は木の樹皮は桜の木に似ているが桜ではないという珍しい木といわれてきましたが、現在ではこの「名なしの木」はイヌザクラ(いばら科)であるといい、春には細い花がたくさんみられるといいます。

民家の庭に風格ある大木が長い間、名なしの木といわれ、珍しがられたとは本当に不思議な気がしました。
 
植木の手入れをしていた御主人に許可を得て撮影が出来たこと感謝しています。 

☆ヒサコの一句☆

名なしの木 長者桜か 花見たや


タグ:名なしの木

水木海岸(日立市水木町)


日立灯台のある古房地公園の近くに水木海岸(日立市水木町)が見えます。

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水木海岸は日立風土記に密月の里として記され、古くから知られている海浜です。
 
海岸は遠浅で小さな湾を成し、波静かなうえに広い渚を有し、南端の突き出した田楽鼻から久慈浜に至る海岸は荒波にまかせて削り立っています。
 
波静かな海岸から左には河原子の烏帽子岩の奇岩が望まれ、右には日立港、背後には泉が森の名勝地があります。
 
このあたりは古戦場、みかの原としても知られているところです。
 
南端に突き出している田楽鼻は72年に一度の金砂神社、磯出大祭礼の言い伝えのある歴史ある海岸です。

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金砂神社の祭礼に神輿がここまで渡御し磯出祭で田楽舞がおこなわれます。
 
前回の平成15年3月に第17回の祭礼が行われ、ご神体が水木海岸に清められました。
 
そのときの様子は金砂郷から大勢の氏子さんたちが水木海岸まで盛大にして厳かに行われたのを覚えています。
 
近くの公園には大祭礼の記念碑もあり、後世に歴史ある行事を伝えてもらいたいものです。
 
今夏の酷暑に大勢の海水浴で賑わう海岸は夕方まで元気な声が聞こえました。

☆ヒサコの一句☆
 
ゆく夏や 祭り懐かし 田楽鼻 
タグ:水木海岸

日立灯台(日立市大みか町)


国道245号の大みか駅入り口の信号を海側に入ると古房地公園の中に日立灯台(日立市大みか町)が見えます。

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古房地公園はは標高20メートルほどの高台にあります。
 
芝生の公園には少し前まで可愛らしいネジリ花が顔をみせ、松林の近くには夾竹桃の花が灼熱の太陽の下、咲き誇っていました。
 
公園には東側は崖下20メートルに太平洋、北には田楽鼻、南は日立港などを望める展望台があります。

日立灯台は重要港湾の新設開湾にあわせ、同湾を出入りする船舶および沿岸を航行する船舶の安全を図る為、昭和42年3月31日に設置点灯されました。
 
この灯台は遠隔でかんしされ無人方式で運用されて船舶の大切な道しるべとなっております。設置以来多くの船人の命と財貨を救ってきました。
 
灯台の近くでは多くの家族ずれで賑わっていました。
 
昔、子供会の遠足で子供達と一緒に遊んだときの灯台も、周りの景色とともに今も変わりなく、時の流れが止まったような懐かしさを感じました。

☆ヒサコの一句☆
 
虫の声 無人灯台 照らす月

八幡神社(日立市鮎川町)


散歩道の途中、大樹に囲まれた八幡神社(日立市鮎川町)があります。

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6号国道の五差路の傍にあって車の騒音は激しいのですが、八幡神社の鳥居をくぐり広い境内はひっそりと静かでした。

神社には立派な石碑があって由来記が記されていました。それによると
 
「祭神 誉田別命 息長足日売命 比売神
 
歴史に名高き、山城国石清水 八幡宮の御分霊 この地に鎮座すること九百余年 廉平元年と伝わる勧請の年は
 
前九年役中にて八幡太郎義家時に父を助けて奮戦せり 奥州への通路たりしこの地方に義家伝説多きは故なしとせず 当時 義家軍の戦勝を祈り平和の到来を願う住民の声に 当社創設の事情を察すべし

その後 義家の弟 義光の子孫 佐竹氏を称し八幡神社を氏神として長くこの地を領す しかるに近世藩となるや
 
八幡改めにより 当社も一時他に移しが先ごろより氏子等相はかり 本殿 拝殿を銅版をもって葦替ふる工事を
  
進め 本年(昭和五三年)六月五日 竣工 還座の儀を執行せり 神殿の荘厳旧に倍し重華を加えり、、、、」
 
とありました。
   
義家公の弟、義光の子孫が佐竹氏とは驚きました。

鎌倉時代、この地は佐竹氏に支配されていましたが、それまで鎌倉方と佐竹氏には壮絶な戦いがありましたが、その後、平氏が滅んだあとは源頼朝に従いました。

そんな歴史を思いながら広い境内を歩いていると、うだるような暑さに、杓で冷水を汲み手を清めました。
 
八幡神社は油縄子の八幡様と呼ばれ地元では大変親しまれています。
 
春(4月15日)秋(10月15日)の例祭、若衆や子供達にとって楽しい境内社大杉神社の夏祭り「あんばさま」があります。

新年の元朝詣りは境内をいっぱいに埋める人で大変な賑わいです。
 
裏のなだらかな石の階段の近くには水色の紫陽花の花が咲き乱れていました。

☆ヒサコの一句☆

夏雲や 社の蒼樹 そびえ立つ
タグ:八幡神社

白山神社(日立市川尻町)と雉(きじ)伝説


白山神社は豊浦中学のすぐそばにあって、6号国道沿いにあります。

現在は館山神社に合祀されています。

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白山神社は文明年間(1472)に俊意法印によって勧請されたといわれます。
 
この白山神社には「お雉さま」伝承がありました。
 
この伝承の記述があった常陸国風土記の成立が養老年間(717〜724)といわれていますから、この「雉伝承」は約1290年前になります。
 
雉伝承とは「昔、兄と妹がおなじ日に田植えをしていました。

今日、田植えがおくれた者は伊福部の神の禍をこうむることになる、と言っていたところ妹が遅れてしまいました。その時、雷さまがとどろき妹を蹴殺してしまったということです。

兄は大変なげき恨んで仇を討とうとしましたが、この雷神がどこにいるのかも知らずいたところ、その時、一羽の雌雉が飛んできて兄の肩にとまりました。
 
麻糸をとって雉の尾にかけたところ、雉は飛び去って伊福部の岳にあがりました。そしてその麻糸をたどっていくと雷神の寝ている石座につき、兄は太刀をぬいて雷神を切ろうとしたところ、雷神は恐れおののき助けてくれという。
 
「助けてくれたらあなたの命令に従って百歳の後にいたるまで、あなたの子孫の末まで落雷の恐れがないようにしよう。」というので雷神を許して殺さなかったという、兄は雉の恩をいつまでも忘れず、もし違反すれば病気にかかり一生不幸になるだろうといったので、その後、村人は雉を食べなくなったといいます。」
 
雉伝説は日立地方の民話「伊福部と雉子」の中で、二人の兄妹と雉の物語です。
 
白山神社は館山神社の境内にひっそりと合祀されて、大変古く小さな神社であまり目立たないです。

まわりには、石仏や石像、小さな祠が無造作にあり、伝承の神社は寂しそうにみえました。
 
☆ヒサコの一句☆

寂しげに 雉伝説の 祠あり
タグ:白山神社

金色姫伝説(日立市川尻町)


豊浦中学近くの6号国道の傍にあって、海岸に面している崖上に鎮座する蚕養神社(日立市川尻町)にまつわる金色姫伝説はこの地方では有名になっています。

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蚕養神社は日本で一番古い蚕の神社といわれております。
 
蚕養の神の由来とは、昔、常陸国豊浦湾(現在 川尻小貝浜)に繭の形をした丸木舟が流れついたのをこの地に住む神官、権太夫が見つけました。
 
早速、丸木舟をわってみるとその中から、たいそう美しい姫が現れたので家につれてわけを聞いたところ「私はインドの大王の一人娘で金色姫と申しますが、母は早く亡くなって、今の継母様は私を憎んで、毎日ひどくいじめられました。

この様子を見かねた大王は桑の木で丸木舟をつくり、宝石のような赤貝で作った首飾りを私の首にかけて舟に乗せ、慈悲深い人に助けられることを願って海に流しました。」と泣きながら手を合わせました。
 
身振りでそれを知った子供のない権太夫は、それから毎日我が子のようにいたわり育てましたが5年たった頃、姫は急に泣きながら「私の命も今宵限りとなりました。

私の身は前世の宿縁で蚕という虫に生まれ変わり蚕葉という桑の葉に養われて、宝の真ん中をかけるまで四度の衣をぬぎすてますがこれは継母様にいじめられた悩みの衣です。
 
それから父母恋しと泣きながら糸をはいて作り、その繭の中にこの身を入れて葬るのです。
 
よい繭を作るには蚕育て頃と庭起きがその良し悪しの瀬戸際です。
 
この蚕貝作りの首飾りと繭は助けていただいた命の恩の置き土産です。」と養蚕の業を教えて念仏と共に昇天しました。

これから日本に養蚕業が広まったといいます。
 
これが蚕姫(こかいひめ)金色の物語伝説といわれています。

☆ヒサコの一句☆

海風や 金色姫の 蚕悲話
タグ:金色姫伝説

小貝浜(日立市川尻町)


初夏の小貝浜の海(日立市川尻町)はキラキラと光っていました。

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白浜の砂は裸足でふみしめるにはまだ冷たく、人の姿はまばらで、ただ波の音だけが聞こえる閑静な海岸でした。

小貝浜に面した崖は絶壁で打ち寄せる波に岩が侵食して変形たり、二つ島などもあって風向明媚な海浜です。

この美しい小貝浜は昔から常陸国風土記にも記述され歴史と伝説に彩られた海浜でありました。
 
小貝浜はきれいな小貝があるところから小貝浜と呼ばれました。この小貝を蚕棚におくと蚕の出来がよいというので、福島や群馬などの養蚕家がこの貝を家宝としたりして、小貝浜を蚕養浜とよんだといわれています。
 
常陸風土記に「藻島駅家の浜に碁子があって、色は珠玉の如く、常陸の国で麗しい碁子があるのはこの浜だけである。
 
昔、日本武尊が船で沖に遊び、島や磯を眺め、種々の海草が繁茂していたので藻島となずけた。」と記してあるという藻島とは今の伊師浜で、碁石を産出したのは蚕養浜のことです。
 
この地を蚕養浜といわれるようになったのは今から大変古く、二千二百年余前、稚産霊大神が今の蚕養神社の近くの海に現れ、われは天下蒼生のために産業の幸福を万代まで得させよといわれたため、里人は大変喜び、早速、社殿を造って日本養蚕の祖神を崇め、その浜を蚕養浜といったといわれています。
 
蚕養神社と小貝浜には深い因縁めいた歴史や伝説があったんですね。

☆ヒサコの一句☆

白砂の 小貝浜は 蚕養浜
タグ:小貝浜

八幡清水跡(日立市旭町)


八幡清水跡(日立市旭町)は常磐線日立駅海岸口より線路沿いに南へ約200メートルほどいった左側にありました。

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そこには「八幡清水跡」の石碑があり、昔は湧き水がこんこんと流れたところといわれています。
 
八幡清水の由来は、平安時代後期、八幡太郎義家の父、頼家が、奥州の安倍氏討伐中に衣川の戦いで大敗、これを助勢すべく義家は大軍を率いて奥州壮途の折、常陸の国助川郷にさしかかった際、7月の暑い盛り、連日の暑さのため重い鎧の下には汗がしたたり、喉の渇きのため兵士たちは草むらに倒れこんでしまう者もあり、飲み水に困窮して水を探していたところ、現在の八幡清水跡あたりに湿地帯を見つけ、やじりで地面を突き刺したところそこから清水が湧き出し、兵士達や馬の喉を潤したといいます。
 
そうして義家の軍勢は壮途につくことができました。

それ以来、この場所を八幡清水と名付けられたといわれます。
 
八幡太郎義家にまつわる伝説は義家が奥州征伐といって11世紀後期、前九年の役、後三年の役に陸奥の安倍、清原の豪族に戦いを挑んだとき、出征の往還となった道筋に伝えられています。
 
線路沿いの八幡清水跡には朝にもかかわらず、年配のご婦人が二人しんみりと手を合わせていました。
 
家並みの中にひっそりとある神社はそこだけ明るく華やいでみえました。

時折、聞こえる電車の轟音にさぞかし義家公もびっくりしているかも知れませんね。

☆ヒサコの一句☆
 
義家の のどを潤す 清水跡
タグ:八幡清水跡

笠置島(日立市東町)


日立駅海岸口の近くの海岸に面したところに馬頭観音の石像がありました。

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その崖を下ると、初夏の風が吹き荒れ、荒波が打ち寄せていました。

しばらく潮風に打たれながら歩いていくと日立市内を流れる宮田川の河口に小さな島が見えてきました。
 
島というより岩といった方がいいような小さな島です。
 
長い間に海岸が侵食されて島となった奇岩の笠置島(日立市東町)です。
 
この島が笠置島と呼ばれるようになったのは、前九年の役で義家の父、頼義が苦戦に陥った時、その助勢のため、八幡太郎義家が奥州への壮途の折、この島で休息され、真夏の海から吹く涼風に寝入ってしまいました。
 
やがて目をさまし、出発しようとしたとき、笠がないことにきずき、義家は今しがた休んだ小島に忘れたことに気付き、家来にとってくるように命じ、その者が島に近づくと土地の漁師が島の上から義家が置き忘れた笠をもって島から降りてきて家来に渡してあげたということです。
 
それ以後、この小島を義家公笠置島と呼ばれるようになりました。今でも笠置島と言い伝えられています。

現在は日立バイパスが海岸の上を通り、昔の風景と一変しましたが宮田川の水の流れは激しく、きれいな水の色にほっとしました。

昔から美しい景勝の会瀬や初崎、さらに奇岩、笠置島を抱く宮田川河口を越えて浜の宮にいたる海岸は夏は海水浴に冬は温暖なところであり、歴史や伝説にいろどられたところです。

☆ヒサコの一句☆

初夏の雲 荒波しぶく 笠置島

種殿神社(日立市田尻町)


江戸時代には陸前浜街道と呼ばれ、現在は県道10号の下田尻バス停の近くの小高い丘の上に種殿(じゅどの)神社(日立市田尻町)があります。

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田尻地区の鎮守として、また片目の神の伝説の神社としても知られています。
 
この片目の神さまは種殿と呼ばれる神社に祀られ、祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)です。
 
種殿神社の神は、昔、畑のあぜ道でころび、ささげに目を突いて片目になり、その後、この神社の氏子はささげを作ってはならないと伝えられています。
 
この片目の神さまは種殿や十殿と呼ばれる神社に祀られているそうです。
 
豆、胡麻で目を突いて片目伝説がある高萩の十殿神社などもあるそうです。
 
片目の神さまの伝説などは、昔から人間や動物が妖怪となって恐れられていたものがやがて神となって伝えられるようになったのだろうか。
 
種殿神社の創設は不詳だそうですが、昔から田尻の鎮守としてかなり古く、歴史のある神社のように感じました。

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本殿の裏にはスダジイの木(市指定保存樹)が天を突くように高くそびえているのが印象的でした。
 
神社のすぐわきを通る県道の喧騒をも離れ、5月の眩しい陽さえも、さえぎるように薄暗く、片目の神さまの伝説にピッタリの神社でした。

☆ヒサコの一句☆

蒼の樹々 片目の神の 古社
タグ:種殿神社

イボ取り神の阿弥陀堂(日立市砂沢町)


日立市の北にある砂沢(いさござわ)町は石尊山の山麓にあってあたりは比較的低い山にかこまれた静かな集落です。
 
今では県道10号線が出来て、交通が便利になりました。

県道が開通するまでは小木津から川尻駅に通じる細い里道があるだけで、大変、交通の不便なところであったといいます。
 
県道沿いにある砂沢公民館の坂道を登ると一面、広々とした田畑が広がり、木々の新緑がまぶしく、山桜がハラハラと散り急いでいました。
 
やがて小高い丘に小さな阿弥陀堂(日立市砂沢町)がありました。

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この阿弥陀様はイボ取りの神さまといいます。
 
ここの氏子達が旧6月14日にあつまって夜待ちをするといいます。
 
イボ神さまに小豆や米をお供えしてお参りし、あたりの小石でイボをこするのだといいます。

今も阿弥陀堂の前には、イボ取り(?)の小石が置いてあり、「かならず元にもどしておいてください」と記してありました。
 
阿弥陀如来様とイボ取り神との関係はわかりませんが、治りにくい病気を治してくれる慈悲深い神さまが救ってくださるのかもしれません。
 
阿弥陀堂のそばにはあざやかなボタンザクラがひっそりとしたお堂を盛り立てるように咲き乱れていました。

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近くには祭神が学問の神さま、菅原道真を祀っている北野神社あります。

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スギとカシの大木があり、薄暗い境内は少しひんやりとしました。
 
そばを常磐高速道路の高い陸橋があり、閑静な村落は少し騒がしくなったようです。

☆ヒサコの一句☆
 
砂沢里 花は散るらん 阿弥陀堂

会瀬の七夕磯伝説


会瀬の海(日立市旭町)には七夕神にまつわる牽牛と織姫の伝説があります。

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昔から会瀬の海には七夕磯とよばれる二つの岩がありました。
 
7月のある夜、天の川が高くかかり、星が今にも降ってきそうなきれいな夜でした。

会瀬(昔は遭鹿と呼ばれた)の浜一帯が真昼のように明るくなり、今まで聞こえてきた波の音がばったりと静かになりました。
 
神のたたりか、不吉の前兆か、と村人達は浜にとびだし、不安そうに空を見上げ、右往左往するばかりであったといいます。
 
まもなく、白夜のように輝く空から虹色の美しい雲が現れ、こちらのほうへ近づいてきました。
 
村人達は声も出ず、呆然と立ちすくんで砂浜に座り込んでしまいました。
 
気がつくと、雲の上に凛々しい若者と、まばゆいばかりの美しい女人が乗っていました。
 
少しはなれた沖合いの夫婦岩の上に舞い降りてきました。

すると、それまで静かだった波が岩にぶつかり、四方に散乱する岩は、白い雲となり、風にひろがるように美しく輝き、岩の上で男女が手をとりあい抱きあいながらむつまじく語りあっていました。
 
その妖しい美しさに村の娘達はため息をつくばかりでした。
 
そしていつのまにか二人の姿は消えさってしまいました。
 
「今夜は七夕の日、天の川の岸から牽牛星と織女星が降りてきて、逢瀬を楽しんでいるに違いない」とわれに返った人たちは興奮さめやらぬ様子で話したということです。
 
それから何百年後、享保年間の時、近くの舟入の突端の釣見岬の岩が嵐で崩れ落ち、岩の間から牛の化石が出てきました。

浦人の二人がこれを見ると牛の角が七本ありました。(牽牛の乗っていた牛は七本の角があった。)
 
村人はこれを聞いて恐れをいだき、これを木箱の中に納めて大切に保管したということです。
 
幾日かたって村人が釣見崎にいってみると、牛の化石が消えてなくなり、そこには牛の形をした洞窟だけが残ったという。

それを「牛の岩屋」とよんでいるといいます。

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四方の国 風静かなる波の上に 心よき世の月を見るかな     
 「七夕磯にて詠む」 正親町大納言兼連
 
七夕のあふせの浦に寄波の寄るとはすれど立かへりつつ 
 中務親王
 
会瀬海岸は子供のころ海水浴にいった懐かしい思い出があり、歴史や伝統の町らしく、海辺を散策すると故郷にかえってきたような落ち着きを感じさせる不思議なところです。

☆ヒサコの一句☆

会瀬浦 七夕磯の 荒しぶき

会瀬の海(日立市会瀬町)


会瀬の海(日立市会瀬町)一帯は歴史と神話にいろどられた地です。

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七夕神にまつわる伝説や常陸国風土記には日本武尊が蝦夷平定の際、この地で皇后大橋姫命にお逢いになったところから遭鹿の浦となずけられたと地名伝承があります。
 
風土記では尊が皇后と共に飽田の村であそび、野では鹿を追い、海では魚介を求めて楽しんだことが記述されているということです。

「飽田」と改められたのは尊と皇后が海の珍味を腹いっぱい飽きずに食うたといわれたところから後の世に「飽田」となずけたといわれます。
 
飽田とは今の日高町あたりといわれていますので、尊は今の十王の海あたりまで、舟に乗って島々を回られたということです。
 
会瀬の浦は眺望の地であったところから古くから詩や歌に詠まれました。
 
行く末のいざ白波の伊ささ川 あふせの浦も人はかけせず    宗祇
 
こぎ出づる船路涼しき初秋に あふせの浦の波の朝風      中務親王
 
また義公や烈公とも関係が深く、義公は会瀬の浦に房州産のあわび、仙台産の海松、松前産の昆布などの養殖をはかり成果を上げたといわれています。

烈公はこの地を常北十景に撰んで、その景勝を伝えたといわれます。
 
江戸時代、会瀬は県北有数の漁村でした。明治以後、伝統的な釣り、網漁業により、かつお、まぐろ、さんまなどの漁獲高は上がったが、施設の近代化、資源の枯渇により漁獲高は減少し沿岸漁業の衰退により低下の一途をたどりました。

今は近代化、合理化をめざして会瀬の漁業も変わり、風景もまた変化したようにおもいます。
 
海水浴場として、会瀬八景(御山の冷風、鵜島の釣磯、坊崎の常零、港中泊船、伊勢崎の松、初崎の白砂、夫婦瀑布、七夕の神磯)の景勝地として、また閑静な海辺に日立会瀬青少年の家ができて、広々とした広場ではゲートボールを興じる御年寄りの元気な声が聞こえました。
 
☆ヒサコの一句☆

遭鹿浦 日本武尊の 雄姿あり
タグ:会瀬の海

沼川弁才天(日立市弁天町)


日立市弁天町にあった市消防署(現在は神峰町に移転)裏に弁才天を祀る小さな社があります。

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沼川弁才天(日立市弁天町)と呼ばれています。
 
弁才天は水神を祀ったものとされ、終戦後、造ったといわれる社だけが鳥居くぐった奥に小さく祀られています。
 
弁才天はインドの神様で俗に弁天様と呼ばれています。
 
この神は人々に智恵、福徳、除災の仏神様として信仰されている女神です。
 
日本では七福神の1つのなっており、また天台や真言の密教で説く弁才天は琵琶を弾く女人像の姿をしているものもあります。
 
弁天様のそばには弁天池があり、市消防署跡には公園になっておりました。

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昔は弁天池辺りは、昼なお暗く、子供の頃は池を囲むたくさんの柳の木が幽霊に見えて良い思い出がありませんでした。
 
今は晩春の陽をあびて緑がさやさやと美しくゆれていました。

☆ヒサコの一句☆

晩春や のどけき池の 弁天様
 

明王山不動尊(日立市神峰町)


日立市の繁華街の中ほどに明王山不動尊(日立市神峰町)があります。

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伊勢甚デパート(現在は解体中)の脇にそっと隠れるようにありました。
 
ご本尊は弘法大師ともいわれ、本堂は250年前に建立され、昭和20年の戦災で焼け残り、昭和60年に大改修しました。
 
明王山不動尊は殿畑不動尊としても親しまれています。

また「明王山不動尊絵馬」は市指定文化財になっております。
 
あたりは児童公園になっており、その中央には風格のあるシイの木があり、旧助川町の旧家である長山家のご神木として大切にされてきた樹であったということです。

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昭和20年7月17日のアメリカ軍の大爆撃や焼夷弾にもめげず、今、堂々として、緑豊かな公園を見守っています。
 
シイの木の下には裸婦などのブロンズ像などがあり、市民の憩いになっております。
 
殿畑不動尊にはピンクの枝垂れサクラが風に揺れ目を楽しませてくれます。
 
また公園の大樹を見るにつけ、戦災によって焼け野原になった日立が復興し、現在の姿を思うとき、歴史の重みを感じてしまいました。
 
☆ヒサコの一句☆

椎の木の お不動様に 絵馬祈願

賀毘礼神社(日立市入四間)


賀毘礼山は常陸風土記にも「東の大きな山を賀毘礼の高峰という。すなわち天つ神がいます」と記されています。
 
この一帯は御岩山と呼ばれ、山頂には賀毘礼神社(日立市入四間)が鎮座しています。

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ここは太古から霊山であり、歴代の常陸国領主が参詣するところとされ、佐竹氏はこの霊山に深く帰依していました。
 
水戸藩の初代藩主頼房も敬神の念厚かったといわれ、またこの場所は修験道の聖地として大いに栄え、大日堂、常念仏堂、百観音堂などが建立されました。
 
祭祀は神仏混交で境内には二一の寺社があり、門前町である入四間を御宿と称し霊地としてにぎわいました。
 
山頂にある賀毘礼神社は「立速日男命」を祭神としています。

徳川光圀は賀毘礼神社の近くにある「御多満里」で「大日本史」の編纂をしたといわれています。
 
神社の階段の両側には光圀と斉昭の歌碑があります。
 
「国の中にはびこる草刈たちて君が千代田に返し奉らん」  光圀
 
「光圀の残せし関を我問はば朝廷を守るしるしなりけむ」  斉昭
 
また鳥居の前には武田耕雲斉などの幕末勤皇の志士達の忠魂碑があります。
 
明治時代になると神仏分離が行われ、観音堂、仁王門などが取り払われ賀毘礼神社は衰退してしまいました。
 
賀毘礼神社奥宮にある頂上は旭ケ峰とよばれ、ここからの眺望は素晴らしく晴れた日には那須、日光連山を見ることができます。

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賀毘礼山中には姥神の石像や古い墓碑など伝説にとんだ場所がたくさんあります。
 
御岩神社から表参道を登っていくと急な細い山道があり、辺りは大樹におおわれ暗く、時折、鳥の奇声だけが聞こえ冷たい空気があたりを支配し霊気を感じました。

シャクナゲの淡いピンクの花が咲いていてホッと安らぎをおぼえ少し足どりも軽くなりました。

☆ヒサコの一句☆

霊山の 峰に漂う 古社
タグ:賀毘礼神社

斉神社(日立市入四間町)


御岩神社の参道を行くと鬱蒼とした樹木に時折、聞こえる小鳥の啼く声を楽しみながらゆくと御岩神社の本殿のそばに斉神社(いつきじんじゃ)(日立市入四間町)があります。

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神社の場所は、万治2年(1659)に建てられた大日堂の旧跡です。
 
斉神社の祭神は天之御中主命、神皇産霊命、高皇産霊命の三柱命で社伝によれば伝教大師の開山といわれています。
 
春と秋の回向祭(えこうさい)で知られている神社です。
 
社殿には「木造阿弥陀如来」(市指定彫刻)と「木造大日如来坐像」(県指定彫刻)が安置されています。
 
「木造阿弥陀如来坐像」は座高59センチで寄木造り、身相は金色で彩色の法衣を通肩にまとっております。
 
頭部は螺髪で目は彫眼です。
 
眉間には白豪をつけています。

両手は胸の前にて上品中生(説法印)の印を組んでいます。

「大日如来坐像」は像高61センチ、坐幅42センチあり、台座より光背先端まで139センチあります。

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ヒノキ材を用いた寄木造りです。身相は金色で、彩色の衣を偏祖右肩にまとい、裳よりわずかに両足裏を見せております。

頭は線彫りの髷をゆい宝冠をつけています。

額には白ごうをつけ、目は玉眼かん入、光背は飛天光の透し彫りです。
 
斉神社の拝殿の厨子に安置されています。
 
大日如来坐像は鎌倉時代、厨子は室町時代の作といわれています。
  
また斉神社の境内には四国霊場の石仏があります。

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弘法太師が開いたと伝えられる四国八十八ヶ所霊場をいいます。
 
この石仏群は四国霊場の本尊を刻んだもので、一番は阿波(徳島県)の霊山寺、本尊は釈迦如来。石仏に文化11年(1814)とあります。
 
そばには濡れ仏(ぬれ仏)(露天に安置した仏像)の蓮華座もありました。

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蓮華と反花が上下逆になっています。

賀毘礼山にある斉神社は昼なお薄暗い神秘的なところにあります。

裏手にある御岩神社の本殿から曲がりくねった細い道を登ると賀毘礼の峰にいたるハイキングコースがあります。

☆ヒサコの一句☆
 
賀毘礼の 鎮守の森に 如来様
タグ:斉神社

御岩神社(日立市入四間町)


御岩神社(日立市入四間町)
 
御岩山とは常陸風土記にある賀毘礼山をいいます。

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その一帯は面積約7万平方メートルの国有林でその中心に賀毘礼神社、御岩神社、斉神社、愛宕神社、薩都神社など神社がたくさんあります。
 
御岩神社(日立市入四間町)は伊邪那美命、国常立命、大国主命を祭神とし、寛永7年(1630)の創立と伝えられ元禄中水戸義公が崇敬し、代々の水戸藩主が参詣しており、多くの修験者や信仰の参拝人で賑わったといわれております。
 
御岩神社の参道を約70メートルほどいくと巨大な三本杉が右側にあり、日立市内で最大の巨杉といわれています。

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地上3メートルのところから幹が3本に分かれています。幹の周囲は約8、1メートル、推定樹齢700年、天を仰ぐその姿は御神木にふさわしく壮観で立派でした。
 
なだらかな上り坂をゆくと「仁王門」があります。

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元禄元年に建てられましたが明治維新の神仏分離でこわされ、平成3年に120年ぶりに再建されました。
 
「仁王門」は境内にある堂宇の守護神である金剛力士像を安置した門です。
 
さらに進むと「常念仏堂跡」と「百観音堂跡」があります。

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「常念仏堂」は延宝2年(1674)に建てられました。
 
「百観音堂跡」は享保13年(1728)に建てられた観音堂へ享保20年(1735)に金銅の百観音像が奉納
 
され、以後「百観音堂」と呼ばれるようになりました。

斉神社の裏手の奥深い場所に御岩神社の本殿がありました。

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賀毘礼の峰にいだかれて静寂があたりを包んでいました。
 
御岩山の山懐にある神社は広々とした境内に蒼黒の樹木が鬱蒼として石仏などが人を寄せつけぬようにも見えました。
 
参詣を終えて参道を抜けると珍しいミズバショウの白い花やザゼンソウが迎えてくれ春の風が心地よく感じました。

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☆ヒサコの一句☆

巨杉の 御岩神社に 坐禅草
タグ:御岩神社

神峰神社(日立市宮田町)


神峰公園の一角に神峰神社(日立市宮田町)の拝殿は、本殿が神峰山頂にあるため参拝者の便を図って建立されたものです。
 
神峰神社の創立年代は定かではありませんが、神峰山頂に祠が祀られた社伝によると称光天皇の御代、正長元年、宮田村へ還座し、宮田村の鎮守となりました。
 
元禄8年、水戸光圀が宮田、助川、会瀬三ケ村の総鎮守として、また大祭禮には浜の宮、助川を経て会瀬まで定め、明治4年、郷社に列せられました。

しかし昭和20年の戦災で消失、同22年に再建、平成2年御大典を記念し改築して現在に至っています。

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また、ここには日立風流物が安置されています。

日立風流物は昭和32年、無形文化財として県指定。 

昭和33年、一台復元公開。 
 
昭和34年、重要文化財として国指定。  

昭和41年、四台とも完全復元しました。
 
風流物は例祭に奉納される山車です。

昔は四台ありましたが、昭和20年の戦災で焼失し1台だけになりましたが氏子達の努力によって昭和41年、念願の四台とも完成、復活しました。
 
日立風流物は毎年、さくら祭りなどには公開され、からくり人形の芸も披露されてお祭りムードを盛り上げています。
 
神峰神社の境内には枝垂れサクラが咲いていました。
 
子供たちの七、五、三のお宮参りに行った思い出深い神社です。公園の喧騒を離れ、大樹に護られた静かなところでした。

☆ヒサコの一句☆

境内の 枝垂れ桜は ぼんぼりに
タグ:神峰神社

神峰公園のサクラ(日立市宮田町)


神峰公園のサクラ(日立市宮田町)
 
今年の気象は気温の変化が激しく、サクラの開花も平年より遅れて心配しましたがやっとこぼれるようなサクラの花にあえて嬉しいです。
 
早速、サクラの美しい神峰公園(日立市宮田町)に出かけました。

神峰公園は華やかなサクラの園になって浮き立つような春爛漫になり、いつもながらの人出で賑わっていました。
 
神峰公園は鞍掛山麓の神峰神社拝殿をとり入れ約三万三千坪の地に設けられた公園で、太平洋を一望にのぞみ、日立市街を見下ろしています。

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背後には多賀山脈の雄大な起伏に連なり、高台からの眺望は素晴らしく、毎年、季節に咲き乱れるツバキ、ウメ、アシビ、コデマり、サクラ、ツツジ、四季折々に咲く花壇もあって目を楽しませてくれます。
 
圧巻はソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなどは目を見張るほどの見事さです。
 
サクラの季節には、約1000本のサクラが丘一面に咲き乱れ、サクラ色の海の中におぼれてしまいそうなそんな素晴らしい景色が見られます。頂上展望台から市街を見下ろす夜景も楽しめます。
 
北関東随一の動物園、気軽に楽しめる遊園地、ジェットコースターがあるレジャーランド、温水プール、入浴施設、郷土博物館、吉田正音楽記念館などがあります。
 
公園の一角を占める神峰神社拝殿は本殿が神峰山頂にあるため、参拝者の便を図って元禄元年に出来たものです。
 
昨夜の暴風雨で花びらを散らしてしまうか心配です。

肩に降りかかる花びらの感触を楽しむのもいいですね。

☆ヒサコの一句☆
 
花冷えの 神峰の丘は 風の舞い
タグ:神峰公園
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