鎧が淵(日立市東河内町)


中里小学校(日立市東河内町)の下から里川に沿って玉廉寺の方へ里の道をおよそ200メートルほど行くと崖下を曲がりくねって川が流れています。

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このあたりは昔から「鎧が淵」(日立市東河内町)といわれて、その伝説が語りつがれているといいます。
 
昔、東河内の里川あたりで落武者が逃げるのに邪魔になった刀の鞘を捨てたところといわれております。
 
その落武者は藤原広嗣であったという。それから幾年もたって釣りにきた地元の者が川底に古い鎧が何着か沈んでいるのを見つけ、村の者達が鎧を引き上げたということです。
 
それ以後、この淵を誰言うとなく「鎧が淵」とよんだと伝えられています。
 
藤原広嗣といえば遺唐副使として中国へ渡り、学問を修め、政治に参与しましたが、吉備真備や僧玄妨と対立して左遷され、それを不服として大宰府に挙兵したが敗れてしまいます。
 
藤原広嗣は安房、上総、下総の国司となった藤原宇合の長子で、常陸国風土記を編纂した人ともいわれています。
 
宇合は蝦夷討ちなどもおこなっていたため、藤原広嗣が敗走して鎧を捨てたという鎧が淵の伝説も父の宇合が蝦夷
 
討ちをしたのと一緒になって伝説が生まれたのかもしれません。
 
藤原広嗣が常陸国に落ちのびて里川に鎧を脱ぎ捨てたかは定かではありませんが、里川の青い流れの川底にはなにか怨念のようなものを見るような不思議な気分になりました。

☆ヒサコの一句☆
 
鎧が淵 落武者の陰 里の冬


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