助川城址(日立市助川町)


助川城址(日立市助川町)(県指定史跡)は水戸藩主 徳川斉昭(烈公)が幕末外交難に備えて水戸藩の海防総司令山野辺兵庫頭義観の居城として築いたものです。

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助川小学校の校門付近にあった大手門から三の丸、二の丸、本丸に行くにしたがって地形が高くなっており、遠見やぐらや養正館(子弟の教育)、鉄砲教練場がつくられました。初崎海岸には砲台が築かれました。
 
城を築いたのは天保7年(1836)、山野辺義観、義芸、義正と3代の城主が28年間、海防総司令官として居城し大きな歴史的足跡を残して元治元年9月9日、天狗、諸生の乱で落城しました。
 
明治維新の元勲、田中光顕が城址を訪れ「そそり立ちし城はあらねどきつきつる人の功は永久に残りて」と読んで往時を追想されたということです。
 
城址には徳富蘇峰の書いた「助川城址」碑や、初代城址 義観が自ら彫った鳩石などがあります。

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幕末に水戸藩の内部争いに巻き込まれた天狗党の悲劇を思うとき、私は城址に立ってとても複雑な思いになりました。
 
時代が大きく変化していった幕末の水戸藩の内乱は歴史の中に咲いたあだ花だったのでしょうか。

今は静かにただずむ助川城址にたつと日立市街が見渡せ、太平洋が一望される風光明媚な公園になりました。

四季それぞれにウメ、アシビ、サクラ、ツツジ、カエデなど高台には一面美しい景色で彩られ家族ずれなどが訪れ賑わいをみせています。

☆ヒサコの一句☆

馬酔木咲き 天狗党悲話 城址丘


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