羽黒神社(日立市大和田町)


大和田町田中内には創建時期の古さに定評のある鎮守羽黒神社(日立市大和田町)が国道6号と293号の交差点の近くの奥まったところにありました。

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祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と石長姫命(いわながひめのみこと)の二神とし御神体を鏡としました。
 
羽黒神社は延暦16年(797)坂上田村麻呂は征夷大将軍に任じられ同20年(801)蝦夷征伐に向かい、この地を過ぎるとき、里の多くの女性がお産に苦しむのを聞き、藤原某に図り、小社を創設し、石長姫命、木花咲那姫のニ柱を祭神として奉紀させたといいます。
 
それ以来お産に苦しむものがなくなり里人はその徳を尊敬したといいます。
 
元慶2年(818年)になって焼失したが天慶2年(939)朱雀天皇のとき、藤原仲平により再建されたという。
 
元禄年中(1688〜1703)徳川光圀は二柱を分け、石長姫命は元の社に祀り木花咲耶姫は新たに社殿を立てて遷座し、羽黒大明神として田中中村の守護としました。
 
明治維新後、羽黒神社と改修しました。
 
また木花咲那姫命は山火鎮護、五穀豊穣、養蚕の守護、縁結び、子授け、安産など女性の幸せ守護神とされています。
 
神社はまわりが民家のなかにあって大きな鳥居にはいると静かで落ち着いた境内には厳かな雰囲気が漂い

大きなカリンの実やすっかり枯れドライフラワー状になった紫陽花が季節の移ろいを感じさせてくれます。

☆ヒサコの一句☆
 
秋色の 古き社に 枯れおばな


タグ:羽黒神社

北野神社(日立市石名坂町)


6号国道に車が行きかうなだらかな石名坂に沿って天神山が見えます。
 
天神山に北野神社(日立市石名坂町)があり、神社の入り口には馬頭観音、庚申供養塔、佛像(石像)ありました。

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北野神社参道の右側には地蔵院の跡地があります。鬱蒼とした草むらや廃木がそのままにされたその中に「融通大念仏塔」や「勧化念佛塔」が建てられています。
 
「有通大念仏塔」とは正徳3年(1713)に建てられ、一人の念佛と多数人の念佛と融通することを説く宗派であるといわれています。
 
「勧化念佛塔」は享保7年(1722)、勧化とは寺院の建立や修理にあたり、信者に金品を集めることであるという。 

これらの念佛塔が草むらにまみれて埋没するようにあるといわれています。
 
このあたりは枯葉がつもり、生い茂る雑草があたりを薄暗くして、どこかひんやりとしています。
 
本殿だけが明るくぼっとかすんでみえました。
 
この北野神社の祭神は菅原道真公です。
 
北野神社の創始年月は詳らかでないが石名坂地蔵院の資料が発見されたことにより明治6年村社に列格されました。
 
北野神社は古社が天正4年に勧請、今社に元禄11年勧請されたといわれています。
 
北野神社の例祭は新暦4月25日、秋は旧暦9月25日、戦前までは例祭には各戸で赤飯を炊いて賑わったといいます。
 
戦後は地域の人々が自由に参拝しているといわれます。
 
例祭日のほか新年祭、御田植祭、新嘗祭などの祭事が行われています。

☆ヒサコの一句☆
 
天神の 隠れ石仏 古社

日立での永代供養なら
 
タグ:北野神社

天道塚(日立市南高野町)


鹿島神社境内の南側の天道塚(日立市南高野町)に移設された地蔵尊堂内に石仏の地蔵菩薩があります。

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石仏の地蔵菩薩には嘉永2年(1849)酉の銘があり、如意輪観音は享保2年(1717)、文化2年(1805)弘化3年(1846)があります。
 
また石仏は馬頭観音、馬櫪神、馬力神があり馬霊の冥福を祈って立てられものですが多いといわれ、中には道標を兼ねるものもあります。
 
天道塚とは太陽を崇め感謝する表れから天祭りと称し民間に広まった信仰(天道祀り)が行われた斎場の跡地です。
 
天念仏、天道念仏とは太陽の恩恵をうけ、五穀豊穣を願う農民の素朴な太陽信仰と念仏が合わさったものといわれます。
 
南高野の天道塚は鹿島神社の南側に位置し道路で二分されましたが、その一部が現存しています。
 
以前は信仰的な講の供養塔や石仏、地蔵仏などは小屋(村の衆が集まって念仏を供養した)の庭先にあり、馬力神、道標は自然の中にとけこんだ村落などにありましたが、昭和31年に地域公民館を建てたときや道路拡張工事のため天道塚に移設されたといいます。
 
庶民の信仰の対象であった石仏や野仏など、どのような人々が手を合わせたのでしょうか。古びた石仏にも人々の願いがこめられているようです。

☆ヒサコの一句☆

日が暮れて 石仏悲し 秋の虫
 
タグ:天道塚

村社鹿島神社(日立市南高野町)


南高野の村社鹿島神社(日立市南高野町)は日立市南部支所の近くにありました。

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南高野の鬱蒼とした森の中に武甕槌命を祭神とする、常陸国一ノ宮鹿島神社を勧請しました。
 
茂宮川下流の後瀬鹿島に大同2年(807)に創立されました。
 
寛永6年(1629)一村一社の鎮守として鹿島明神となり、元禄8年(1695)徳川光圀の命により一時、大甕倭文神社の末社となりました。
 
明治12年4月に至って現在地に鎮座されました。
 
鹿島神社大助祭り旧7月10日、新嘗祭12月2日が行われ、村内安泰と家内安全、五穀豊穣を氏神様である鹿島神社に祈願する御祭りです。

地域公民館の文化祭には藤田東湖揮だいの祭り用大のぼり(現在は郷土博物館に保管)を立てています。

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鹿島神社の広い境内には樹齢百年余の桜、椎の常緑広葉樹林で繁茂しており、昭和53年12月に日立市緑地保存の指定を受けています。
 
境内には八坂神社と稲荷神社が合祀されています。
 
鹿島神社は鳥居の前には世にいう八幡神社の八幡太郎手割の石がありました。

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当時、道の真ん中にあって義家がとおる時、道をふさいで邪魔であったところから太刀を持って二つに割ったとされる石があります。
 
神社は住宅街の中ほどにあって大樹にまもられ、あたりを歩いていると金木犀の甘い香りに酔いそうです。

☆ヒサコの一句☆

音もなく 境内の秋 落葉ふむ

薬師堂(日立市久慈町)


なだらかな坂道を上がっていくと高台の久慈小学校の近くに薬師堂(日立市久慈町)がありました。

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薬師堂に安置されている薬師如来像は重要文化財に指定されています。
 
薬師如来像は江戸時代まで大森村丹奈の里(現在の常陸大田市)にありました。
 
文禄6年(1693)6月、徳川光圀の命により丹奈の里から久慈村梵天山観照院宝隠寺境内に移祀されました。
 
宝隠寺は久慈小学校付近にありましたが廃寺となり、その場所に薬師堂がありました。
 
文久3年(1863)の久慈の大火の際、薬師如来像は人々に背負われて運び出され、難を逃れてこの地に祀られました。
 
現在の薬師堂は明治42年(1909)7月、地元によって建立されました。
 
内部には本尊薬師如来および両脇侍日光・月光菩薩と薬師如来の眷属十二神将が安置されております。
 
薬師如来像は、カヤ材寄木造り、像高71センチ、平安時代の作といわれております。
 
薬師如来は薬師瑠璃光如来の略で東方瑠璃光世界の教主であるところから大医王仏ともいわれています。
 
この仏が修業中に除病安楽、息災難苦、荘具豊満の大願をされたので、薬師如来を信仰することによって病苦を救い厄難消除し、現世来世の福徳を授けられるとされております。
 
両脇侍の日光・月光菩薩立像は像高78センチ、ヒノキ材の一本造り、江戸時代の作と推定されております。
 
薬師如来坐像は彫刻としても価値の高い仏像ともいわれています。
 
薬師堂の隣には天台宗千福寺があり、高台から久慈港や民家がが一望できます。
 
薬師道の帰り道、下り坂を歩いていると元気な小学生の列が、口々に挨拶してくれて私も気持ちよく「こんにちわ」といいながら石段をおりました。

☆ヒサコの一句☆

彼岸花 港見渡す 薬師堂
タグ:薬師堂

名なしの木(日立市久慈町)


南高野史跡公園の入り口の道をはさんだところに金井戸団地入口のバス停があります。

その道路ぎわに「名なしの木」(日立市久慈町)と呼ばれる大木があります。

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昔の古老の言い伝えによると、昔、南高野字宿坪に長者屋敷といわれる一角があり、旧暦11月15日の夜、盗賊が大挙して襲ってきたといいます。
 
屋敷の住人は赤津雅楽之助と称し、村人からは長者様と呼ばれていたといいます。

長者は槍の名人だったので盗賊13人を突き伏せると驚いた賊は姿を消し、長者は敵影なしとみて水を飲みに外に出たとたん待ちぶせした賊に長者は首を打たれて死んしまい毎年旧暦の11月15日の縁日には屋敷跡の片隅に立ち「名なしの木」の根元に13本の白幣を立てて神職が祭事を行うという。
 
赤津家の伝えるところによると長者は佐竹氏の繁栄した天正18年(1590)頃の家老であったが佐竹氏が秋田へ移封されるとき、老齢のためこの地にとどまり百姓となって知行300貫を与えられたという。
 
後年、長者が京都に行った際に一本の苗木を持ち帰り敷地内に植えたのが「名なしの木」といわれています。
 
この「名なしの木」は木の樹皮は桜の木に似ているが桜ではないという珍しい木といわれてきましたが、現在ではこの「名なしの木」はイヌザクラ(いばら科)であるといい、春には細い花がたくさんみられるといいます。

民家の庭に風格ある大木が長い間、名なしの木といわれ、珍しがられたとは本当に不思議な気がしました。
 
植木の手入れをしていた御主人に許可を得て撮影が出来たこと感謝しています。 

☆ヒサコの一句☆

名なしの木 長者桜か 花見たや
タグ:名なしの木
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