波切不動尊(日立市河原子町)


河原子海岸の高台に波切不動尊(日立市河原子町)が祀られています。

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弘法大師が開基したと伝えられる龍王山不動尊南光寺に波切不動尊(波限不動尊)が祀られています。
 
本尊の波切不動尊は高野山から勧請したものです。
 
創立は不祥ですが歴史は古く、源義家が奥州征伐の11世紀の後半、前九年、後三年の両役に陸奥の豪族に戦いを挑んだときの往還となった時、祈願されたと伝えられています。

ここから美しい河原子海岸や烏帽子岩の奇岩を望む景勝地で河原子八景にもなっております。
 
波切不動尊から眺める秋の満月の情景を「新地の秋の月」といわれ河原子八景として親しまれています。
 
私も美しい夜の海岸の波の音を聞きながら、ここから静かに秋の月に酔ってみたいものですね。

☆ヒサコの一句☆
 
不動尊 波間に映る 夏の月


タグ:波切不動尊

駒つなぎのイチョウ(日立市大久保町)


鹿島神社の鎮守の森はたくさんの神木があります。

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夏の陽が照りつけても鳥居をくぐればもう木立、静寂の中、小鳥の声だけが聞こえました。氏子の人だろうか、ご婦人が境内の落葉をはき清めていました。
 
鹿島神社の境内の南側に蒼緑の駒つなぎのイチョウ(日立市大久保町)の巨樹が目につきました。
 
この珍しい名前の由来は、平安初期の武将で征夷大将軍となり蝦夷を平定した坂上田村麻呂がこの鹿島神社に戦勝を祈願したとき、このイチョウに駒をつないだと伝えられ、この名が付けられたということです。
 
駒つなぎのイチョウは樹齢推定550年とされ、根株は周囲に根が露出しおりますが太い幹はまだまだ衰えを知らず存在感を見せています。
 
春の芽吹き、夏の蒼緑、秋の黄葉、冬の裸木と四季の変化も楽しみな風格のある樹です。
 
駒つなぎのイチョウは雄株で幹囲は5、5メートル、高さは約19、5メートルあるといわれている巨樹です。
 
2月の節分にお邪魔をしたときは裸木でした。

冬の灰色の空に裸木の寂しげな風景もよかったのですが、今の蒼葉の色彩の美しさと力強さに見とれてしまいました。

☆ヒサコの一句☆

駒つなぎ イチョウの陰で 蝉騒ぐ

上孫伏見稲荷神社(日立市桜川町)


6号国道沿いに上孫伏見稲荷神社(日立市桜川町)があります。

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こじんまりとした神社ながら街の一角にあり、国道沿いにあるため存在感があります。
 
由来記によりますと「上孫伏見稲荷神社は明和年間(1764)、京都伏見胡桃稲荷大社威福院より分霊され多賀郡国分村大字大久保字孫1484に祠をたてて祀り、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の守護神として尊崇してきました。

天明2年(1782)の大飢饉には町内あげて飢饉退散を祈願し、御利益があったといわれます。
 
以来氏神として代々旧暦2月例祭日としています。
 
昭和32年都市計画整理により日立市大久保町字孫1214番に移転しました。」
 
桜の季節には神社の境内に花吹雪が舞い、肩にかかる花びらも気にせず手を合わせたこともありました。
 
またこの神社は日立ささら(大久保散々楽)(茨城指定無形民俗文化財)があります。
 
大久保ささらは古くから大久保鹿島神社の露払いとして神輿の先導をしてきた風流系の一人立ち三匹獅子舞いです。
 
地元では「上孫ささら」と呼ばれています。
 
大久保鹿島神社は大正15年(1926)以来、出社がなく、ささら奉納も途絶えていましたが、昭和38年に大久保鹿島神社上孫散々楽保存会が結成され、保存継続が図られたといいます。
 
大久保ささらの舞いは比較的静かで素朴なのがとくちょうです。

☆ヒサコの一句☆
 
ささら獅子 稲荷神社の 素朴舞い

オサガメ磯(日立市国分町)


国道245号を日立市会瀬から河原子方面に向かっていくと日立市国分町三丁目あたりに鮎川四丁目のバス停があり、そこを海岸にむかっていくとヒットネスやプールのあるスポーツ施設があります。

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その崖下には太平洋が広がっており、この沖合い100メートルほどのところに昔から河原子の漁師さんたちがオサガメ(日立市国分町)と呼んでる磯があります。
 
このオサガメ(長亀)磯には伝説があります。
 
日立市郷土博物館の所蔵する「河原子村来迎院除地書上(控え)」に次ぎのような「朝日権現」縁起の写しが書かれています。
 
朝日権現、但石の賓殿
 
夫朝日権現ハ嘉吉年中當浦之長亀磯工 女性ニ相現人家へ移来而吾ハ是元威光
 
菩薩也国家ヲ為守ニ今此処岡跡ヲ朝日 権現ト詫シ呈御正体ヲ跡ニ置虚空ニ飛
 
至人里彼御正体則御身体□其以来 彼化女宿所子子孫々朝日御子ト名
 
乗致支配来者也
 
嘉吉元年辛酉八月 朔日
 
室町時代(嘉吉年中)の頃、長亀という磯の上に女性が一人あらわれいうには「我は之れ威光菩薩なり、国家を守らんためこの名に垂跡、朝日権現是なり」と それ以来、化女の宿所は子々孫々の朝日の守子を名のったといわれております。

またオサガメ伝説のほかにも、この磯のあたりにはオサガメといわれる大亀が出没したという言い伝えがあるといわれています。
 
子供の頃、夏になるとこの海岸で毎日のように遊びました。今は遊泳禁止になって海水浴場の賑わいはなく静かです。
 
そんな白波が打ち返す浜辺で亀の足跡を探してしまう私です。

☆ヒサコの一句☆
 
沖合いの オサガメ磯に 白カモメ
タグ:オサガメ磯
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