普済寺跡(日立市鮎川町)


八幡神社の隣に秦病院の駐車場がありますが、そこに真言宗の普済寺がありました。

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現在の普済寺跡(日立市鮎川町)は僧侶の墓石と地蔵尊と如意輪観音だけが残っています。
 
普済寺は元禄時代(1690年頃)から天保時代(1840年頃)まで真言宗海岳山一心院普済寺です。
 
水戸藩の社寺改革で河原子から移転し、天保の改革で廃寺になったといわれます。
 
天保12年の検地絵図には塔、本堂、庫裏が描かれ、除地23石の大きな寺であったということです。
 
また地蔵尊などは旧国道沿いの元普済寺参道入り口に安置されていましたが、昭和36年8月、元普済寺境内海岳山門東側に移奉されて今日に至りましたが、まわりの大樹の下にあり、幾度の風雪害のため堂宇の荒廃甚だしくなり地蔵尊堂改築のため山門跡地より東々北のこのところに改築建立されたものです。
 
僧侶の墓石は地蔵尊堂の傍の墓所の中にひっそりとありました。
 
地蔵尊と如意輪観音の石像は静かにお堂の中に安置され、地元の人が奉納した千羽ズルがたくさんありました。
 
どこからか蝉の寂しげな声が聞こえてきました。

☆ヒサコの一句☆
 
夕暮れや 普済寺跡に 蝉の声


タグ:普済寺跡

八幡神社(日立市鮎川町)


散歩道の途中、大樹に囲まれた八幡神社(日立市鮎川町)があります。

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6号国道の五差路の傍にあって車の騒音は激しいのですが、八幡神社の鳥居をくぐり広い境内はひっそりと静かでした。

神社には立派な石碑があって由来記が記されていました。それによると
 
「祭神 誉田別命 息長足日売命 比売神
 
歴史に名高き、山城国石清水 八幡宮の御分霊 この地に鎮座すること九百余年 廉平元年と伝わる勧請の年は
 
前九年役中にて八幡太郎義家時に父を助けて奮戦せり 奥州への通路たりしこの地方に義家伝説多きは故なしとせず 当時 義家軍の戦勝を祈り平和の到来を願う住民の声に 当社創設の事情を察すべし

その後 義家の弟 義光の子孫 佐竹氏を称し八幡神社を氏神として長くこの地を領す しかるに近世藩となるや
 
八幡改めにより 当社も一時他に移しが先ごろより氏子等相はかり 本殿 拝殿を銅版をもって葦替ふる工事を
  
進め 本年(昭和五三年)六月五日 竣工 還座の儀を執行せり 神殿の荘厳旧に倍し重華を加えり、、、、」
 
とありました。
   
義家公の弟、義光の子孫が佐竹氏とは驚きました。

鎌倉時代、この地は佐竹氏に支配されていましたが、それまで鎌倉方と佐竹氏には壮絶な戦いがありましたが、その後、平氏が滅んだあとは源頼朝に従いました。

そんな歴史を思いながら広い境内を歩いていると、うだるような暑さに、杓で冷水を汲み手を清めました。
 
八幡神社は油縄子の八幡様と呼ばれ地元では大変親しまれています。
 
春(4月15日)秋(10月15日)の例祭、若衆や子供達にとって楽しい境内社大杉神社の夏祭り「あんばさま」があります。

新年の元朝詣りは境内をいっぱいに埋める人で大変な賑わいです。
 
裏のなだらかな石の階段の近くには水色の紫陽花の花が咲き乱れていました。

☆ヒサコの一句☆

夏雲や 社の蒼樹 そびえ立つ
タグ:八幡神社

大高山宝塔寺(日立市西成沢町)


6号国道の西成沢の青葉台入り口を山側に入ってすぐに左側に曲がり、坂道を上がると大高山宝塔寺(日立市西成沢町)がありました。

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宝塔寺の由来記によりますと、「今からおよそ700年前、日蓮聖人の直弟子によって開かれ、赤浜にあって妙法寺と称しました。

それから393年後、元禄9年(1696)水戸光圀の命により、この地に移し宝塔寺と改めたといいます幕末のころ廃寺となり、堂宇もなくなりましたが祖師の像を一時民家にかくまったりして里人たちが守ってきました。
 
昭和25年、寺院に列することができましたが本堂もなく、ここに寺院があったことも分からぬものが多かったといいます。
 
昭和43年、明治100年を記念し、念願の庫裡新築を果たし、宝塔寺が再こうされました。」

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宝塔寺には木造釈迦如来、多宝如来竝坐像(市指定彫刻)があります。
 
この像は日蓮宗法華経法の本尊とされる厨子入りの釈迦如来と多宝如来の竝坐像で、その中央の塔に南無妙法蓮華経の7文字がひげ文字で大書きされています。
 
像は小品ですが作りは良く、玉眼かん入で、宝冠、冠そうは青銅製です。

白ごうをもち、衣を通肩にまとい、両手に蓮華合掌をしています。
 
寺伝によりますと、この像は元禄9年、水戸光圀が宝塔寺に寄進し、安置されたものといわれています。
 
高台に上がる道には夏の花、紫陽花の美しい薄紫の花が心を和ませてくれました。

☆ヒサコの一句☆

坂道の 紫陽花はなやぎ 宝塔寺

雷神様(日立市東町)


宮田川河口にある笠置島の近く、海岸の切り立った崖の下に別雷命を祀る別雷皇大神、雷神様(日立市東町)があります。

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あたりには鉄工所や民家もあり、広大な浜の宮広場が一望でき、打ち寄せる太平洋の潮の匂いがします。
 
鳥居をくぐると古い祠が、裏手には洞窟があり、そこにも小さな祠がありました。

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洞窟をのぞいて見ると薄暗くて奥深く、どこまでも長く続いているような不気味な暗さでした。
 
雷神は気象の神様であるとも言われ、天候に左右される漁のため、この海岸一帯の漁師の信仰する神として春秋祭日には非常に賑わったといわれています。
 
雷神様のある海岸から約500mほど沖に虎磯とよばれる小さな磯があって干潮時だけ姿を現すというこの磯で釣りをしていた男がいつの間にか潮が満ちて帰れなくなりましたが、この男が日頃から雷神様を信仰していたので天より現れた神の助けにより帰ることが出来た、という話が伝えられています。
 
今でも雷神様の祭日には、ご神体を舟につんで、この磯を一回りするといいます。
 
雷神様は漁師の守り神として海の天候や漁の安全を願って祀られているのかもしれません。
 
現在は日立バイパスが海の上に作られ、静かな海辺の風景も一変しました。雷神様もさぞかし驚いていることでしょう。

☆ヒサコの一句☆

夏の海 雷神様の 祠あり
タグ:雷神様

坐禅石(日立市宮田町)


坐禅石(日立市宮田町)は日立鉱業日立精錬所から入四間方向に約500メートルほどさかのぼり、宮田川をはさんで左側にあります。
 
あたりは新緑が目に眩しく、勢いのある川の音がさわやかな風にのって心地よく聞こえてきました。

しばらく歩いていくと巨石がみえました。

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この巨石こそ坐禅石と呼ばれ、これにまつわる伝説が伝わっています。
 
天童山大雄院寺が、現在日立鉱業日立精錬所のある旧地名、宮田町字杉室というところにありました。
 
文明2年(1470)、南極寿星禅師が神奈川県足柄市にある大雄山最乗寺にありましたが、現在の日立市田尻村に法道を広める為やってきました。そして田尻町の度志観音の霊験を感じ、ここで100日間の参籠を行ったといわれています。
 
禅師の修業中に夢の知らせで観音菩薩のお告げと白馬の行方にまかせてたどりついたところが、宮田村杉室の地であったといいます。
 
杉室は老杉の森林が鬱蒼として昼なお暗く、野獣が多くいたりして恐ろしいところでした。

禅師は森の中をさまよい歩いていくと川の流れの傍らに巨石があったので、その巨石によじ登り坐禅をしました。この巨石が坐禅石とよばれているものです。
 
この巨石の上で昼夜をいとわず坐禅修業を続けたといわれています。
 
坐禅石の大きさは高さ約5メートル、幅8メートル、少しこんもりとした楕円形の変成岩です。
 
「坐禅石」と石の左側に立て札がありますが、道路より少し奥まった川の傍らにあるのであまり目立ちません。
 
道端には白いシャガの花が清らかに咲いていました。

☆ヒサコの一句☆

清流に 木立のざわめき 坐禅石
 
タグ:坐禅石

千手観音(日立市宮田町)


千手観音(日立市宮田町)
 
日立鉱業日立製錬所の事務所に程近いところに千手観音(日立市宮田町)を祀る小さな洞窟がありました。

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洞窟のある杉室の地は約520年前の文明2年、南極寿星禅師によって開山されたといわれる天童大雄院があったところであります。
 
日立鉱山で明治41年に開通し、私も子供の頃、乗車したことがある(乗車賃は無料でした)専用電車を昭和35年に廃止し、助川荷扱所から大雄院までの鉱石などの運搬をトラックに切り替え、産業道路を作り、電車軌道の地下の洞窟にあった千手観音が現在の道路沿いに姿をあらわしたものです。
 
千手観音のそばには由来記が書いてありました。
 
それによると、この千手観音像は1500年の昔、旅の修業者がこの山の洞窟深く刻んだものを古くより言い伝えられたといいます。
 
当時、これを田中辰吉氏が発見し、長年にわたり守護してきました。道路開発と共に現在地に移転になり、後の人々の知るところになり、千手観音の力にて人々をすくい、家内安全、交通安全、安産の神として、遠くからの人々の参拝が多くあるということです。
 
千手観音といっても千の手をもっているわけでもなく、今はコンクリート堂に金網に守られた千手観音が安置されています。
 
近くには高速道路も出来、入四間に至る道路はひっきりなしに車が往来していました。
 
あたりは新緑が眩しく、爽やかな初夏の風は心地よく、観音様はそのなかにひっそりととけ込んで見守ってくださるようにみえました。

☆ヒサコの一句☆

洞窟の 千手観音 すまし顔
タグ:千手観音

海雲山観音院(日立市東滑川町)


6号国道の滑川浜入り口から海岸の方に向かっていくとすぐに海雲山観音院(日立市東滑川町)があります。

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あたりは旧家が多く、その中ほどに立派な「海雲山観音院」の門柱が目立っていました。

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観音院は享保20年に日立町大字滑川字ブダイにあり天正3(1575)小幡館主、小野崎氏に要請されて天童山大雄院9世吉山元利和尚が開山したと伝えられています。
 
しかし、大正2年火事によって焼失しましたが大正7年再建の際に、ブダイから約一町離れた滑川町の現在の地に遷されました。
 
海雲山観音院は釈迦牟仏をご本尊とする曹洞宗の寺院です。
 
本堂や観音堂に描かれているのは仏画、鐘楼に彫られているのは龍の彫刻です。
 
境内には子育て観音、不動明王、説法地蔵など石仏など、境内はにぎやかでした。

江戸時代に「海雲山の晩鐘」として滑川八景に名をつらねています。

☆ヒサコの一句☆

陽の光 院の甍に ふりそそぎ
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