斉神社(日立市入四間町)


御岩神社の参道を行くと鬱蒼とした樹木に時折、聞こえる小鳥の啼く声を楽しみながらゆくと御岩神社の本殿のそばに斉神社(いつきじんじゃ)(日立市入四間町)があります。

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神社の場所は、万治2年(1659)に建てられた大日堂の旧跡です。
 
斉神社の祭神は天之御中主命、神皇産霊命、高皇産霊命の三柱命で社伝によれば伝教大師の開山といわれています。
 
春と秋の回向祭(えこうさい)で知られている神社です。
 
社殿には「木造阿弥陀如来」(市指定彫刻)と「木造大日如来坐像」(県指定彫刻)が安置されています。
 
「木造阿弥陀如来坐像」は座高59センチで寄木造り、身相は金色で彩色の法衣を通肩にまとっております。
 
頭部は螺髪で目は彫眼です。
 
眉間には白豪をつけています。

両手は胸の前にて上品中生(説法印)の印を組んでいます。

「大日如来坐像」は像高61センチ、坐幅42センチあり、台座より光背先端まで139センチあります。

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ヒノキ材を用いた寄木造りです。身相は金色で、彩色の衣を偏祖右肩にまとい、裳よりわずかに両足裏を見せております。

頭は線彫りの髷をゆい宝冠をつけています。

額には白ごうをつけ、目は玉眼かん入、光背は飛天光の透し彫りです。
 
斉神社の拝殿の厨子に安置されています。
 
大日如来坐像は鎌倉時代、厨子は室町時代の作といわれています。
  
また斉神社の境内には四国霊場の石仏があります。

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弘法太師が開いたと伝えられる四国八十八ヶ所霊場をいいます。
 
この石仏群は四国霊場の本尊を刻んだもので、一番は阿波(徳島県)の霊山寺、本尊は釈迦如来。石仏に文化11年(1814)とあります。
 
そばには濡れ仏(ぬれ仏)(露天に安置した仏像)の蓮華座もありました。

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蓮華と反花が上下逆になっています。

賀毘礼山にある斉神社は昼なお薄暗い神秘的なところにあります。

裏手にある御岩神社の本殿から曲がりくねった細い道を登ると賀毘礼の峰にいたるハイキングコースがあります。

☆ヒサコの一句☆
 
賀毘礼の 鎮守の森に 如来様


タグ:斉神社

御岩神社(日立市入四間町)


御岩神社(日立市入四間町)
 
御岩山とは常陸風土記にある賀毘礼山をいいます。

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その一帯は面積約7万平方メートルの国有林でその中心に賀毘礼神社、御岩神社、斉神社、愛宕神社、薩都神社など神社がたくさんあります。
 
御岩神社(日立市入四間町)は伊邪那美命、国常立命、大国主命を祭神とし、寛永7年(1630)の創立と伝えられ元禄中水戸義公が崇敬し、代々の水戸藩主が参詣しており、多くの修験者や信仰の参拝人で賑わったといわれております。
 
御岩神社の参道を約70メートルほどいくと巨大な三本杉が右側にあり、日立市内で最大の巨杉といわれています。

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地上3メートルのところから幹が3本に分かれています。幹の周囲は約8、1メートル、推定樹齢700年、天を仰ぐその姿は御神木にふさわしく壮観で立派でした。
 
なだらかな上り坂をゆくと「仁王門」があります。

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元禄元年に建てられましたが明治維新の神仏分離でこわされ、平成3年に120年ぶりに再建されました。
 
「仁王門」は境内にある堂宇の守護神である金剛力士像を安置した門です。
 
さらに進むと「常念仏堂跡」と「百観音堂跡」があります。

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「常念仏堂」は延宝2年(1674)に建てられました。
 
「百観音堂跡」は享保13年(1728)に建てられた観音堂へ享保20年(1735)に金銅の百観音像が奉納
 
され、以後「百観音堂」と呼ばれるようになりました。

斉神社の裏手の奥深い場所に御岩神社の本殿がありました。

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賀毘礼の峰にいだかれて静寂があたりを包んでいました。
 
御岩山の山懐にある神社は広々とした境内に蒼黒の樹木が鬱蒼として石仏などが人を寄せつけぬようにも見えました。
 
参詣を終えて参道を抜けると珍しいミズバショウの白い花やザゼンソウが迎えてくれ春の風が心地よく感じました。

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☆ヒサコの一句☆

巨杉の 御岩神社に 坐禅草
タグ:御岩神社

神峰神社(日立市宮田町)


神峰公園の一角に神峰神社(日立市宮田町)の拝殿は、本殿が神峰山頂にあるため参拝者の便を図って建立されたものです。
 
神峰神社の創立年代は定かではありませんが、神峰山頂に祠が祀られた社伝によると称光天皇の御代、正長元年、宮田村へ還座し、宮田村の鎮守となりました。
 
元禄8年、水戸光圀が宮田、助川、会瀬三ケ村の総鎮守として、また大祭禮には浜の宮、助川を経て会瀬まで定め、明治4年、郷社に列せられました。

しかし昭和20年の戦災で消失、同22年に再建、平成2年御大典を記念し改築して現在に至っています。

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また、ここには日立風流物が安置されています。

日立風流物は昭和32年、無形文化財として県指定。 

昭和33年、一台復元公開。 
 
昭和34年、重要文化財として国指定。  

昭和41年、四台とも完全復元しました。
 
風流物は例祭に奉納される山車です。

昔は四台ありましたが、昭和20年の戦災で焼失し1台だけになりましたが氏子達の努力によって昭和41年、念願の四台とも完成、復活しました。
 
日立風流物は毎年、さくら祭りなどには公開され、からくり人形の芸も披露されてお祭りムードを盛り上げています。
 
神峰神社の境内には枝垂れサクラが咲いていました。
 
子供たちの七、五、三のお宮参りに行った思い出深い神社です。公園の喧騒を離れ、大樹に護られた静かなところでした。

☆ヒサコの一句☆

境内の 枝垂れ桜は ぼんぼりに
タグ:神峰神社

神峰公園のサクラ(日立市宮田町)


神峰公園のサクラ(日立市宮田町)
 
今年の気象は気温の変化が激しく、サクラの開花も平年より遅れて心配しましたがやっとこぼれるようなサクラの花にあえて嬉しいです。
 
早速、サクラの美しい神峰公園(日立市宮田町)に出かけました。

神峰公園は華やかなサクラの園になって浮き立つような春爛漫になり、いつもながらの人出で賑わっていました。
 
神峰公園は鞍掛山麓の神峰神社拝殿をとり入れ約三万三千坪の地に設けられた公園で、太平洋を一望にのぞみ、日立市街を見下ろしています。

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背後には多賀山脈の雄大な起伏に連なり、高台からの眺望は素晴らしく、毎年、季節に咲き乱れるツバキ、ウメ、アシビ、コデマり、サクラ、ツツジ、四季折々に咲く花壇もあって目を楽しませてくれます。
 
圧巻はソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなどは目を見張るほどの見事さです。
 
サクラの季節には、約1000本のサクラが丘一面に咲き乱れ、サクラ色の海の中におぼれてしまいそうなそんな素晴らしい景色が見られます。頂上展望台から市街を見下ろす夜景も楽しめます。
 
北関東随一の動物園、気軽に楽しめる遊園地、ジェットコースターがあるレジャーランド、温水プール、入浴施設、郷土博物館、吉田正音楽記念館などがあります。
 
公園の一角を占める神峰神社拝殿は本殿が神峰山頂にあるため、参拝者の便を図って元禄元年に出来たものです。
 
昨夜の暴風雨で花びらを散らしてしまうか心配です。

肩に降りかかる花びらの感触を楽しむのもいいですね。

☆ヒサコの一句☆
 
花冷えの 神峰の丘は 風の舞い
タグ:神峰公園

鮎川の渓と馬頭観音の石仏


サクラが遅まきながらやっと開花しました。
 
いっせいに咲きだしたサクラは華やかに、そして爽やかな春の風が心地よく、花は咲き乱れていました。

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諏訪からはじまる鮎川の渓(日立市諏訪町)の土手にはソメイヨシノが満開になり、清流の涼やかな音が聞こえてやっと暖かな春を実感しました。
 
鮎川の渓は水戸義公(光圀)が多摩川の鮎を取り寄せて、この川に放ち諏訪神社の多賀野神宅をしばしば訪れあたりの景色を観賞されました。
 
多賀野神社宅は義公のために、特に、亭を建てて錦亭となずけられたということです。
 
秋ともなれば紅葉の錦する谷間の風景が優れているところから名付けられました。庭園には鮎川の流れを引き入れツツジや自然石などをそえ風雅を楽しんだといわれています。
 
その後の義公はたびたび錦谷を訪れ、紅葉狩りをされました。
 
また水戸烈公もこの地を訪れ、鮎川の渓谷に梅を植えさせ、また日光から河鹿(かじか)を取り寄せ渓流に放ちました。

今、夏になると河鹿の声が聞こえ、のんびりした田舎の風情を楽しんでいます。
 
今では春はウメ、サクラ、秋は紅葉など見られ茨城百景にあげられています。
 
諏訪梅林の近くに「馬頭観音」の石仏がありました。

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日立市では数少ない観音様で私達に病気や災難などの厄除けの観音様です。
 
像の制作は、諏訪梅林が造られる70年前、宝暦12年(1762)です。

素朴な石仏が静かな清流の傍にそっとあって手を合わせるとサクラの花びらがひとひら舞い散っていました。

☆ヒサコの一句☆
 
石仏や 鮎川の渓 花いかだ

荒沢不動尊(日立市東河内町)


国道345号線の高鈴入り口バス停から山道を登っていくと人家がまばらになり、山の樹々が春のよそおいを見せていました。
 
梅やコブシの白い花、モクレン、黄のレンギョウなど山間も賑やかさをまし、閑静な中に鶯の啼く声が聞こえのどかな山の風景が続いていました。

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この旧入四間道は多くの荷駄が往来し、急な崖道のため背の重荷に耐えかね足を滑らせ崖の下に転落死した馬の霊を弔う馬頭観音の石碑がたくさん見られました。
 
「荒沢不動尊」(日立市東河内町)の建物が崖の中腹にありました。荒沢不動尊の創立ははっきりしませんが、古くは賀毘礼神社登拝の山伏達や講中の人達が、この荒沢不動尊を第一の行場とされ、多くの修験者は前を流れる急流に身を清めて祈願をしたといわれます。

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安置されている不動明王像は元禄12年(1699)銘の不動明王が祀られています。
 
荒沢の名は奥州羽黒山にある荒沢(こうたく)寺から採ったものといわれています。
 
不動明王の大きさは1,3メートル、台座から火焔光背の先端までの高さは2,15メートルあります。
 
山の野道で古びた石仏にであい、春山では美しい自然に見とれ、川のやさしい音に魅了された1日でした。

☆ヒサコの一句☆
 
石仏や 遠めの辛夷 不動尊
タグ:荒沢不動尊

玉廉の滝(日立市東河内町)


玉廉の滝(日立市東河内町)(市指定名勝)は安産祈願所として有名な玉廉寺の境内にあります。

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玉廉の滝は幅約8メートル、高さ18メートル、水源は高鈴山の北方に発し、滝沢川となり里川に注いでいます。
 
延宝6年(1678)水戸光圀が始めてここで遊び、その風景を賞美し、工匠に命じて堂塔伽藍を再建し、ついで
 
天和2年に方丈及び庫裡をたて、滝にちなんで爆布山玉廉寺と号しました。
 
そして天和3年4月に入院開堂式を行い7月に再びこの滝を訪れ、この滝を絶賛して次のような詩を詠じました。
 
 飛泉倒断崖 乱沫散微糸 白布懸空爆
 
 玉廉穿岳垂 雷声轟地軸 雲額払山眉
 
 千歳除擬後 為吾洗悪詩
 
また水戸烈公もこの地を訪れ、「紅葉せし木の間の滝の玉すだれ落つる錦をきてこそまされ」と詠みました。
 
玉廉の滝は紅葉ばかりでなく楓も風情があり、樹にからむ蔦葛がまた見事で、滝の飛沫が落下する中ほどの
 
くぼんだところに観世音の石像が安置されていることで、この像を拝むことで難産の厄をはらうと伝えられています。
 
俳人 松尾芭蕉の句に「松風の落葉が水の音涼し」というのがあります。
 
芭蕉がこの地を訪れ、風の流れと松風を讃えたこの句は観音堂のそばの碑に刻まれて建てられています。
 
玉廉の滝のあたりは、美しい樹木と岩の間を流れる里川となって聞こえてくるやさしい音が心地よく里山の静かな風景
 
は時の過ぎるのも忘れてしまいそうな所でした。
 
☆ヒサコの一句☆

玉廉の 里山の春 滝しぶき
タグ:玉廉の滝

玉廉寺(日立市東河内町)


玉廉寺(日立市東河内町)は国道349沿いから少し入ったところに玉廉の滝があり、その隣に位置しています。
 
玉廉寺境内にそびえる常念杉もどっしりとした風格を見せていました。

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※境内は撮影禁止でしたが、外から撮影することを許可してもらいました。
 
この杉のある漠布山玉廉寺はかって水戸光圀が西山荘に隠遁する前に起居されたところであるといわれています。
 
この境内付近は茨城四十五景の1つと数えられ、シーズンには高鈴バス停入り口もあり、寺は安産祈願の参詣者が多いといわれています。
 
この玉廉寺には「観音菩薩坐像」(県指定彫刻)が安置されています。
 
観音菩薩坐像は像高59センチでビャクダン材を用いた寄木造り、身相金色、納衣を通肩にまとい、髪は線彫で後に垂れています。

両手は法界定印を結び、目は玉眼かん入、額は白ごうがあり、頭部には宝冠をつけ、その左右に冠繪がたれています。
 
この像が安置されている観音堂は延宝6年(1678)徳川光圀によって創設され、それよりさき徳川家が徳川家康から江戸小石川邸の守護仏として贈られた聖観音像を光圀がこの寺に安置したものといわれております。
 
また坐像の胎内には光圀の墨書という銘札が挿入されており、安産守護の仏ともいわれ、安産祈願の寺としても有名な寺といわれております。
 
境内付近は里川の清流の静かな音色と自然の美しい風情に心癒されるところですね。

☆ヒサコの一句☆
 
常念杉 安産祈願の 滝の寺
タグ:玉廉寺

日鉱記念館と旧久原本部(日立市宮田町)


工業都市、日立市発展の原動力となった日立鉱山の歴史と資料を展示した「日鉱記念館」(日立市宮田町)が日立鉱山跡地にありました。

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日立鉱山は創業者の久原房之助が1905年、当時の赤沢銅山を買収、日立鉱山として開業、その後は日本有数の銅山までになりましたが1981年に閉山となりました。
 
その中には日立のシンボルとなった大煙突は、煙害対策として1914年に建設、高さ155.7メートル、当時としては世界一を誇りました。

しかし、1993年2月、老朽化から倒壊し54メートルになりました。
 
創業者、久原房之助の本部として建築した家屋が、「旧久原本部」(県指定史跡)です。

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久原房之助が赤沢銅山を30万円で買収し、日本鉱山として創業し、鉱山開発のため苦労して作り上げ、日立市の産業発展のためつくした場所でもあります。
 
家の周囲は板塀でめぐらし木造平屋ずくりで面積は66、32平方メートルです。屋根は木羽葺でしたが昭和50年5月に銅版葺に替えました。
 
内部には久原房之助82歳(昭和26年)に記した「苦心惨憺処」の扁額があります。この所を複製した宮田川の川石に彫刻したものが旧久原本部に昭和45年3月に建立されました。
 
日鉱記念館の敷地内には旧久原本部のほか精錬所構内の輸送に活躍した日立製作所製の電気機関車、第一、第十一、竪抗、削岩機などの鉱山資料館などがあります。
 
久原房之助やそれを支えた人々達の努力やご苦労を偲びながら散策していると春なのに空気が凛として冷たく山間の記念館はとても静かで落ち着いたところでした。

アシビの花が満開に咲いていてリニューアルした記念館の建物が少しはなやいで見えました。

☆ヒサコの一句☆
 
花冷えや 日鉱跡に 咲く馬酔木
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