日立市宮田町の大煙突は鉱業都市、日立の名物といわれ、日立鉱山の大煙突は高さ156メートル、海抜325メートルの山上に立っていました。
☆ヒサコの一句☆
煙突の 雄姿懐かし 冬の雲
この煙突は日本銅山が創立以来の悩みとなっていた煙毒問題を解決するため久原久之助が大正3年(1914年)3月、着工、同年12月20日、完成されたもので当時、世界一を誇る大煙突でした。
ところが平成5年(1993)突然、下部3分のTを残して倒壊してしまいました。
不滅の日立のシンボルが倒壊するなどにわかに信じられませんでしたが、寂しさより長い間、ご苦労様という感じでしたね。
煙突建設の克服に努力した当時の地元住民の葛藤の様子は直木賞作家、新田次郎の小説「ある町の高い煙突」で全国的に知られるようになりました。
神峰公園の一角に記念碑があります。
日立鉱山は昭和58年(1981)閉山、大煙突建設の頃は製錬所の周囲は禿山でしたが、今は緑におおわれるようになりました。
倒壊後、3分の1に修理され、今はリサイクル工場の水蒸気が出ています。
手前はダルマ煙突です。